■S:今日の聖書の言葉
エレミヤ書33章6〜8節
★見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルの繁栄を元どおりにし、初めのように彼らを建て直す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしにそむいたすべての咎を赦す。
■O:今日のコラム
エレミヤは生涯、やがてくる神の裁きをイスラエルの民に警告し続けました。神の教えに背き続ける民に、神の裁きがくだり、災いがイスラエルの民を襲いました。
今日の33章はエレミヤが、災いと裁きのまさにその渦中で語った神の希望です。神に立ち返ろうとしない民に対して、主は裁きの警告だけでなく、将来と希望の計画さえも語られました。
主は、私たちが神に立ち返ることができるようにと、さばきと災いをおくられることがあります。けれども、主は神の民がまっさかさまに倒されるようにはなさらないことを感謝します。
「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。」(詩篇37:24)
神のさばきが下ったイスラエルの民は、この後バビロン捕囚にあいますが、主はこの民を滅ぼし尽くされることをせず、後には、この民族から救い主が生まれることとなります。私たちの主は、なんとあわれみと赦しに富んだお方でしょうか!感謝し、御名を褒め称えます!
神はご自分の民に、
「あなたがたが、『人間も家畜もいなくて廃墟となった』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、
楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が再び聞こえる。それは、わたしがこの国の繁栄を元どおりにし、初めのようにするからだ」(エレミヤ33:10,11)
と、回復の希望を語られました。
今日、私たちにも同じように、主が回復の希望を語ってくださっていると信じます。
また、私たちにはそれに加えて、花婿なるキリストが花嫁を迎えに再び帰って来られるという何にもまさる希望があります。この希望が確かなものとされるためには、花嫁には試練があります。
「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:2~5)
「神の栄光を望み喜ぶだけでなく、患難さえも喜んでいます。」とパウロは語っています。
なぜ患難を喜べるのでしょうか。痛めつけられるのが好きなのでしょうか?違います。その患難の先には「確かな希望、失望に終わることがない希望」が約束されていることを彼は知っていたからです。
私たちの内側で、初めは小さくもろく不安定だった希望や主への信頼が、患難によって、練られ、強められ、不動のものとされていくのです。
試練の中にあっても、私たちには、神が私たちに立ててくださっている希望のご計画があることを今日思い起こしましょう!それは失望に終わるものではないことを心から感謝します!
■A:考えてみよう
現在はコロナ・ウィルス感染が、世界中で起こっています。コロナは肉体だけでなく、人々の心と思いにも感染しているように感じます。
コロナとは「冠」という意味です。「冠(コロナ)」をかぶり、自分が王となり「自分の見解こそが正しい。あの人の意見は間違っている」と自分の義を主張する。ウィルスに心と思いが感染し、自分が王となり、己の義を手放すことができないでいる自分に気付かされました。それは何よりも恐ろしい症状です。
人にはそれぞれの思い、主張があるでしょう。けれども、主だけが唯一の義なるお方、主だけが唯一の正しいお方であることを、今日、覚えたいと願います。
全世界でたった一人、ご自身の正しさを主張する権利をもっておられた方は、私たちの滅ぶべきだった命を救うために、黙され、実に死にまでも従われました。
「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。
私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。
私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。」(詩篇39:1,2)
ご自身の主張を捨てて十字架にかかってくださったイエス様が、十字架のシーズンである今日、ご自分の足跡をたどるようにと私たちを呼んでくださっています。キリストの足跡に従い、弟子の道を進むようにと私たちは召されています。
黙示録に出て来る長老たちのように、自分の「冠」を投げ出し、今日、自分を捨て、自分の義と訴えを放棄し、自分の十字架を負って共にイエス様のあとについていきましょう。
与えられたこの唇を、自分の義や自分の正しさを主張することに用いる代わりに、神の希望を告白することに用いたいと切に願います。
「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」(ヘブル10:23)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【最後の感謝】
このマナメールは当初、紙媒体で「デボーションガイド(デボガイ)」としてスタートし、やがて、配信のみの「マナメール」へと移行していきました。デボガイ時代を含めると私もこのマナメールに15年近く関わらせて頂きました。
出産や子育ての中にあっても、絶えず御言葉が私の口にあり私の近くにあったことは、マナメールの働きに関わらせて頂いていたゆえだと、感謝が尽きません。そのような機会を与えてくださった主に、また慎悟先生はじめ、牧師先生方に感謝します。
マナメールの記事を書かせて頂くことで、誰よりも私自身がみことばに教えられ、養われ、成長させて頂いたことを心から感謝いたします。つたない分かち合いにもかかわらず、読み続けてくださった皆様にも心から感謝します。毎日毎日、欠かさずに配信の作業に忠実に携わってくださった配信チームの皆様、ありがとうございました。
昨日も今日もとこしえに変わらない方に、これからも信頼し続け、草は枯れ花しおれども永遠に立つ神のことば、神のトーラーを共に愛し、心の板に刻み続けることができたらと願います。
主の御名を崇め、賛美します!シャローム!!
【 みちる 】
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