■S:今日の聖書の言葉

雅歌2章14-15節(テサロニケ人への手紙 第二 1章)

★ 岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」

■O:今日のコラム

雅歌は、おとめと花婿の麗しい愛の交わりが記された書ですが、これは霊的な意味においては花婿なるキリストと、キリストの花嫁である私達の愛の交わりを意味する書です。

それなので雅歌は聖霊様の導きの中で、キリストとの親密さを求めて読みましょう。

今日の箇所には、花婿からおとめへの愛の呼びかけが記されていますが、その中で彼は、おとめの美しさを言い表すと共に「私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。私たちのぶどう畑は花盛りだから。」と言っています。
 
これは私達の信仰生活の中で主イエスとの親密な愛を持ち、主にある豊かな実を結んで生きる為の非常に重要な御言葉です。

多くの場合、罪への誘惑や、信仰の情熱の後退は、「子狐」の様に小さな事から始まります。

私達はいきなり無意識の内に性的な罪を犯すという事はありません。まずは心や思いの領域において汚れた情欲の思いを起こし、それを繰り返し思い描く中で肉体においても罪の行動をする事となるのです。

盗みにおいても同じです。「欲しい」というむさぼりの思いを心の中に持つ中で、自分の持って無いものを盗んででも手に入れるという行動に発展します。

さらに殺人においても、まずは心の中で人に対する憎しみや、ねたみ、怒りや、赦せない思いを持つ中で、その思いが熟して殺人の罪にまで繋がる事となります。

全ての事は、心や思いの中に働く「子狐」の様に小さな領域から始まって行きます。それを私達の内に放っておくなら、いつの間にか罪を犯す事が習慣的な領域にまでなってしまいます。

箴言の中には「悪へ走るのに速い足」を主が忌みきらわれる事が記されています。これは習慣的な罪の囚われを意味する言葉です。

しかし、愛に満ち溢れた花婿なるイエスは、私達を心から愛するが故に、十字架の上で命をかけて私達の罪を全て背負い、その束縛の鎖から完全に解放して下さいました。私達の罪を聖めるのはただ、主イエスの十字架の血潮だけです。

そして、この豊かな恵みを受けると同時に私達は、主を愛するが故に、人生かけて主イエスに従って生きて行く決心をする必要があります。

その中で主が私達に願われる事の一つが、「あなたの心を子狐から守りなさい。」という事です。力の限りを尽くして私達の心を見守りましょう。命の泉はここから湧くからです。

私達はまず自分の心の見張り人となる必要があります。なぜなら、私達の思いは本来、主の素晴らしさを仰ぎ見て、主の麗しさに思いふける為にあるからです。

イエス様の十字架の力によって私達の思いと心の領域を主の贖いの元に勝ち取りましょう。

絶えず私達の内が聖霊の炎と御言葉によって徹底的に聖め尽くされますように。その事を共に切に願い求めましょう。

■A:考えてみよう

今日、熱心な悔い改めを持って主にある聖さを追い求めましょう。それは恐れや、脅迫からではなく、麗しい花婿を慕い求める愛の故にです。

■P:祈り

麗しい主よ。雅歌を通してあなたとの親しい交わりの領域へと私を導き入れて下さい。主が喜ばないものを取り除き、私の心は主との愛の交わりの中で生きる、花盛りの畑の様になりますように。

聖霊様、絶えず私を導いて下さい。愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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