■S:今日の聖書の言葉
サムエル記 第一 23章4節
★ダビデはもう一度、主に伺った。すると主は答えて言われた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」
■O:今日のコラム
何か困ったことがあるとき、信頼できる人に聞くことができるならとても助かりますね。私はコンピュータ関係は得意なので自力で何とかできますが、税金の事や医療の事などは専門ではないので相談できる人がいるととても助かります。
今日の聖書の個所は、ダビデがサウルから逃亡するため、ケイラととジフの荒野に逃げている場面です。しかし、そんな中、次のような知らせを聞きます。
「その後、ダビデに次のような知らせがあった。『今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。』」(1節)
これを聞いてダビデは追われている身なのにもかかわらず、ケイラを助けようとします。そうするなら、サウルに自分の居場所がばれてしまうというリスクを負っているのにです。
なぜそのようなことをしようとしたかのでしょうか?
この時ダビデが滞在していた場所はアドラムでした。アドラムもケイラも共にペリシテ人によって圧迫を受けていました。しかも、ケイラの人たちはダビデと同じユダ族でした。
アドラムからケイラまでの距離は10kmほど。すぐに出発すればすぐに駆け付け、ケイラの人々を助けることができます。しかも、この時ダビデは正式には王の権限はありませんでした。
さあ、皆さんがダビデの立場ならどのように判断しますか?
どう考えてもリスクしかないこの状況において、ダビデの取った行動はどのような者だったでしょうか。このことをよく考えるなら、私たちの普段の生活、ビジネスにおいてピンチとなったときに大きな助けとなるのではないかと思います。
■A:考えてみよう
あなたがダビデの立場だったらどう判断し、行動しますか?
・身分の高い人から迫害されている。(上の人から理解してもらえない)
・逃げているので下手な行動をすると自分の場所がばれてしまう。
・大切な友がピンチの状況。
・自分には何も権威もない。
自分の経験から決断を下すことは大切なことです。しかし、本当に困ったとき、指針を聞くことができるのはリーダーにとってとても強みになります。
ダビデは誰に聞いたのでしょうか?
「そこでダビデは主に伺って言った。『私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。』」(2節)
ダビデは私たちの創造主である主に伺いました。これは祈りです。内容を分析すると、
・私が行くべきか。(他の人を遣わすべきか)
・ペリシテ人を打つべきか。(もしくは打たないべきか)
この具体的な内容を主に伺いました。
主は私たちの創造主であり、すべてを治めておられるお方です。アドバイスを乞うのに最も適したお方です。誰に聞き従うかはとても大切なことです。
「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)
私たちが聞くのはキリストについてのみことばです。
かつてアダムとエバはヤハウェなる神の声に聞き従うことをせず、蛇の誘惑の声を聞いてしまい、彼らの欲が罪をおびき寄せてしまい、結果、死が人の中に入ってしまいました。
しかし、人の子と呼ばれる神のひとり子、イエス・キリストが人としての姿をとってこの地に来てくださり、罪なき生き方をされ、十字架にかかって血を流し、私たちを買い取ってくださいました。はじめの人によってもたらされた罪を人の子が贖い、永遠のいのちを与えてくださいました。
このいのちを与えるお方のことばに耳を傾けるほど有益なことはありません。世のいろいろな物は変わります。長さや重さの尺度も時代や場所で変わります。時間さえ、ほんのわずかですが一日の時間は短くなっていっています。世の中に本当の絶対は存在しないかもしれませんが、唯一絶対なのは神のことばです。
ダビデが主に「伺った」ということばはシャーアルという言葉で、「尋ねる、頼む、求める」という意味があります。このシャアールという言葉が固有名詞に使われると「サウル」となります。また、名詞になると「シェオール」となり、よみ、ハデスという意味になります。
ダビデは自分が絶体絶命の時に主に伺いました。実は、ダビデが主に伺ったというのはこの時がはじめてです。それほど追い込まれていたのでしょう。
東北の大震災の時、イエス様と出会っていない人でさえも自然に出てきたのは「祈り」です。人は自分の無力さを痛感し、自分では打つ手もないと感じた時、神が人にあらかじめデザインしプログラムしてくださった「祈り」が発動するのでしょう。
しかし、その祈る対象が大切です。何も答えることができず、動くこともできない神々からは、残念ながら何の答えもありません。
サウルは尋ね、頼み、求める相手を間違えてしまいました。神のことばではなく、自分の意見に従ってしまいました。
「するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(1サムエル15:22-23)
みことばは今もなお私たちに語りかけています。その小さな神の御声を聴きとれているでしょうか。そして、聞いたならそれに従っているでしょうか。
日々の小さなみことばへの従順が、いざというときの大きな決断を左右します。その時になっての判断では遅いのです。ですから、地味ですが毎日みことばと祈りの生活を続けていきましょう。
■P:祈り
今日も私を愛してくださる天のお父さん、今日のみことばをありがとうございます。私たちは人生で路頭に迷うことがあります。生きる意味を見失ってしまいそうになる時があります。
そのような時、最も信頼できる創造主なる神に聞くことができることを感謝します。人に頼ることも時には必要ですが、みことばから直接私に語りかけてくださる神の御声に耳を傾けることができるよう、助けてください。一日のうちで時間を聖別し、神にささげる時間を与えてください。
そして、主を愛するがゆえにみことばを実行する力を与えてください。日々のみことばへの小さな従順が重大な局面での判断が神の御心の通りになることを願います。
このような大変な時代にあっても昔も今もとこしえまで変わらないイエス様に目を向け続けることができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。