■S:今日の聖書の言葉
コロサイ人への手紙3章1-2節(伝道者の書7章)
★ こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
■O:今日のコラム
この世が私達に提供するものは「目の前の物に追われる」という生き方です。
新商品、新しいテレビ番組や次のスポーツの試合、様々な必要や思い煩いや楽しみ、この世のものが心を満たす時、私達は目の前の必要が満たされる事だけが全てのように思ってしまいます。聖書はそれを近視眼的な生き方だと言っています。
しかし、今日の箇所に神の民としての重要な生き方が記されています。
それは、上にあるものを求めて生きる。という歩みです。この「上にあるもの」とは別訳では「上にある富、永遠の宝」と記されています。
この世のどんな物も手に入れたらすぐに古くなり、さらに新しい物が必要となります。
たとえばIPhone4を手に入れたら、すぐにIPhone5が発売され、今まで持っていた最新の物はすでに古いものとなってしまいます。
しかし、御国の宝は決して腐ちる事も、古くなる事も、盗人が盗む事も、サビが付くという事もありません。私達は人生かけて、この世の宝ではなく、上にある御国の宝を切に追い求め続けましょう。
そして、どんな宝よりも遥かに優る報いは、イエス様ご自身です。
上にあるものを求める時「そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。」と記されていますが、黙示録の3章でラオデキヤの教会に対する勝利者の報いは「主イエスと共に座に着く」というものです。これはキリストの花嫁を意味する約束であり、その報いを得る為に私達は、なまぬるさに対して勝利を得る必要があります。
聖書全体を通して、私達には朽ちること無い栄冠、キリストの花嫁としての栄誉が用意されている事を覚えて、この世のものに心を奪われず、ひたすらに主を慕い求めてこの人生を歩みましょう。そこには永遠に輝く報いが用意されています。
■A:考えてみよう
今、わたしの心を何が支配しているだろうか?
思い煩いや、誘惑、欲望や、なまぬるさが心を占めているなら、熱心な悔い改めを持って主イエスを求めよう。
■P:祈り
主よ。私の心をこの世の物から、御国の栄光を求める心へと変えて下さい。
聖徒の受け継ぐものがどれ程に栄光に満ちたものか、知恵と啓示の御霊なる主よ。私に教えて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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