■S:今日の聖書の言葉
詩篇94篇19節
★私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばせてくださいますように。
■O:今日のコラム
今日、私たちのうちで、思い煩いが増すときに、主の慰めが私たちのたましいを喜ばせてくださいますように。
私たちの主は、いつも私たちを助け、私たちを慰めてくださるお方(詩篇86:17)であることを感謝します。私たちの神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださるお方です(2コリ1:4)。私たちの神は、気落ちしたときに慰めてくださるお方、へりくださった者を慰めてくださるお方であることを感謝します。
今日の一日の歩みにおいて、私たちの人生の歩みにおいて、私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように(2コリ1:3)。
私たちは1日のうちにも、多くのことを考え、多くのことを思い、その中で心配したり、思い煩ったりしてしまいます。しかし、思い煩いが増すときにも、主の慰めを得るならば、私たちのたましいに誰にも何にも奪い去ることのできない喜びが与えられます。
思い煩うときに必要なことは、主の慰めを受け取ることです。
そして、主の慰めはみことばにある神の変わらない約束の中に見い出すことができます。主のみことばこそが、私たちの慰めなのです。つまり、主の慰めを受け取るとは、主のみことばを受け取ることです。
「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生かします。」(詩編119:50)
思い煩いを神にゆだねること、神に投げることはとても大事なことですが、私たちは思い煩いをいっさい神に投げたならば、手放したのならば、次は神の思い・考えであるみことばを受け取る必要があります。
思い煩いを神にゆだねると祈り宣言しても、主の慰め=主のみことばを受け取っていなければ、また自分の思いや考えの中で思い煩ってしまいます。
自分の思い煩い、自分の思い、考え、計画を神にゆだね、御前に手放したならば、神の思い・神の考え・神の計画であるみことばを受け取ることが大切なのです。
そして私たちは、主の慰めを日々受け取り続けることが必要です。なぜなら、主の慰めは、私たちを強め、私たちがあらゆる良いわざとことばとに進むようにしてくれるからです。
「どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」(2テサロニケ2:16,17)
主の慰めは、みことばに励み、みことばを行う者へと私たちを強めてくださいます。
主の慰めとは、みことばを受け取ることであり、主の慰めを受け取ることで、私たちは更にみことばに励み、みことばを愛し、みことばを握り、みことばを実行する者へと強められ、変えられていくのです。
■A:考えてみよう
今日も、主の慰めを受け取ることができますように。日々私たちの慰めである主のみことばを受け取ることができますように。
思い煩うときに、真っ先に主のみことばに向かうことができますように。また、思い煩いを主に投げるだけで終わらせず、主に投げたならば、主のみことばを受け取ることまで励むことができますように。
いっさいの思い煩い、自分の考え、思いを主にゆだねて、主に手放し、代わりに主の思い、主の考え、主の計画であるみことばを受け取り、握ることができますように。
日々、他の何かではなく、主のみことばから私たちの真の慰めを受け取ることができますように。日々主の慰めを受け、みことばに励み、みことばを愛し、みことばを行う者へと強められますように。
私たちのうちで、思い煩いが増すときに、主の慰めが、私たちのたましいを喜ばせてくださいますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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