■S:今日の聖書の言葉
エステル記10章3節(同9章)
★ それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。
■O:今日のコラム
エステル記を通して、私達が勝利を得た主の民として生きる為の、三種類の姿を見る事が出来ます。
一つは言うまでもなくエステルです。これは麗しさと力と大胆な信仰に満ち溢れ、王の愛と好意を一身に受けて生きる、キリストの花嫁をあらわす勝利者の姿です。
もう一つはモルデカイです。モルデカイは王ではありませんでしたが、王の次に高い権威を持ち、多くの人々の尊敬を受ける人物でした。
8章を読むとモルデカイは王の服を来て国民の前に立つ姿が記されています。つまり、これは、真の王の王に仕え、その王の王にあって、権威と力を受けたキリストにある王としての勝利者の姿です。
さらに、エステルにもモルデカイにも共通した働きがあります。それは「とりなし手」としての姿です。
ハマンによってユダヤ人の虐殺が計画された時、モルデカイは民とエステルの間に立ってとりなし、さらにエステルは王と民の間に立ってとりなしました。
彼らは断食を持って命をかけたとりなしによって、この悪の計画を阻止したのです。これはキリストにある祭司としての役割を果たす勝利者の姿と言えるでしょう。
このようにエステル記は、異教の地にあって少数派であった主の民が勝利を得た姿が記された書であり、その勝利は現在も起こります。
この日本の中で、クリスチャンは少数派であり、時には教会に向かって厳しい逆風が吹く事があります。異教の文化の中で福音を伝える事に困難を覚え、私達の力の無さに失望する事もあるものです。しかし、今日このエステル記を通して大胆な信仰を受け取りましょう。
たとえ少数派であっても、主の民がキリストの花嫁、王であり祭司として立ち上がる時、この国の文化はひっくり返され、霊的領域に打ち破りが起こり、そしてこの地に御国が見える形で到来する事となります。
モルデカイが自分の民の幸福を求め、民族全てに平和を語ったように、私達もこの日本の民のイエス・キリストにある救いを切に求めてとりなし祈り、この民全体に平和の福音が語られる事を信じて、現代のエステル、モルデカイ、王であり祭司、キリストの花嫁として共に立ち上がりましょう。
■A:考えてみよう
エステル記を読んで、聖霊様から勝利の信仰を受け取ろう。
それぞれの家庭や学校、職場や街でこの主の勝利を現す事が出来ますように。
■P:祈り
主よ。私を現代のエステル、モルデカイとして用いて下さい。麗しい王である主イエスの熱烈な愛の中に生きる花嫁とし、主イエスの権威を持った王とし、主の前に忠実に仕え、とりなし祈る祭司として下さい。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
【 しんご 】
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