■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第二3章1節
★愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。
■O:今日のコラム
今日、私たちのうちに純真な心が与えられていきますように。
今日の聖書の言葉にある「純真な心」とはどのようなものでしょうか?純粋で素直な心でしょうか?子どものような心でしょうか?
「純真な」とは「太陽の光によってさばかれた/わきまえられた」という意味の言葉、「心」とは「思い、考え」という意味の言葉が使われています。
つまり、この聖書の中でいう「純真な心」とは、「神の光によって、真の悟り・理解力を与えられた思い」、また「神の光に照らされて、偽善・欺き・悪などの罪の思いから解放されたきよい思い」のことです。
私たちクリスチャン、みことばに土台を置く者たちが持つべき純真な心とは、「みことばによって物事をわきまえることができる思い」また「みことばによってきよめられた思い」です。
今日の聖書の節にあるように、そのような純真な心を持つには、「これらの手紙により、記憶を呼びさませる」必要があります。つまり、みことばを思い起こすこと、みことばを思い巡らすこと、みことばの思いを持つことが必要なのです。
みことばを読むこと、みことばを聞くこと、そしてみことばと自分の思いが一つになることなしに、純真な心は生まれません。純真な心、すなわち「みことばによって物事をわきまえることができる思い」また「みことばによってきよめられた思い」を持つには、みことばを読むこと、みことばに聞き従うこと、みことばを思い巡らすこと、みことばと一つとされることに日々努めることが必要不可欠です。
今日も、私たちがみことばを読み、みことばに聞き従うことができますように。今日もみことばを思い巡らし、みことばと私たちの思いが一つにされていきますように。そして、そのことによって、純真な心が与えられ、みことばによって物事をわきまえることができる思い、みことばによってきよめられた思いを持つことができますように。
■A:考えてみよう
純真な心、みことばによってきよめられた思い、みことばによって物事をわきまえることができる思いを持つようになることを願い求めるでしょうか?
自分や周りに起こっている物事をみことばではなく、人の考えや人の言葉、自分の考えや自分の理解によって判断していなかったかどうか、聖霊様に示して頂きましょう。
自分の思いの中で、偽善や欺き、悪い思いなど、今日みことばによって特にきよめられる必要がある思いは何か、聖霊様に示して頂きましょう。
純真な心を持つために、みことばを読み、みことばに聞き従い、みことばにとどまる生活を送り続けることができますように、主の助け・力を求めて祈りましょう。
今日、みことばの戸が開き、私たちの思いに光が差し込み、わきまえのないところに悟りが与えられますように。みことばにより、水の洗いをもって、今日も私たちの思いがきよめられますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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ありさ様
主の御名を賛美します。
「純真な心」を持つために、みことばをお読み、聞き従い、おもいめぐらすことが必要だということを心にとめたいと思います。
イエスの血潮を宣言する祈りとみことばの朗読と異言の祈りに取り組んで、1ヶ月経過しました。
いつものことですが、信仰の後退が起こり、「もうやめようか」という思いに捕らわれています。
しかし、まだまだ霊的に未熟な段階にいる者が、そんなに早く成果が出るわけがないと思い直しているところです。
マナメールの記者の皆さんのレベルに到達するまで、忍耐して神の御顔を求めようと思います。
本日のメッセージを感謝します。