■S:今日の聖書の言葉
ネヘミヤ記9章1-3節(同10章)
★ その月の二十四日に、イスラエル人は断食をし、荒布を着け、土をかぶって集まった。そして、すべての外国人との縁を絶ったイスラエルの子孫は立ち上がって、自分たちの罪と、先祖の咎を告白した。彼らはその所に立ったままで、昼の四分の一は、彼らの神、主の律法の書を朗読し、次の四分の一は、告白をして、彼らの神、主を礼拝した。
■O:今日のコラム
リバイバルとは主が本来立てておられる計画がこの地に回復する事です。ネヘミヤ記にはイスラエルの中にリバイバルがもたらされ主の真理が回復して行く姿が記されています。
8章においては仮庵の祭りが回復し、それはヨシュアの時代以来の回復であり、イスラエルの中に大きな喜びが湧き上がりました。
仮庵の祭りの一つの意味は主イエスの誕生です。
仮庵の祭りの時イスラエルの民は簡単な幕屋を張ってそこで生活をしますが、ヨハネの福音書1章14節には主イエスの誕生について「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」と記されています。この間に住むとは「幕屋を張る」という意味であり、主は私達人類の間に肉の体という一時的な幕屋を張って住まわれる事となりました。
さらに、この仮庵の祭りのもう一つの意味は、終わりの時代に起こる魂の大収穫です。
そこで、この終わりの時代の大収穫に備えて必要なのが、今日の箇所に書かれている、神の民の間に悔い改めと、御言葉と礼拝の回復が起こる事です。
ネヘミヤ記9章の中でイスラエルの民は国家的な断食と悔い改めをし、自分達の内から不純物を取り除きます。彼らは自分たちの罪を告白しただけではなく先祖の咎を告白しました。咎とは罪が結んだ実を意味します。
さらに彼らはそれだけにとどまらず、昼の四分の一は、律法を朗読し、さらに次の四分の一は主を礼拝しました。つまり、ここで御言葉と礼拝が回復する事となります。その結果、国家的なリバイバルと聖めがネヘミヤの時代に起こる事となりました。
私達はこれを歴史的な事実として見るだけではなく、これから起こる大リバイバルの為の備えとして見る必要があります。今はある意味、あわれみの時、聖徒たちが整えられるのを主が待って下さっている時です。
この時期にある大きな誘惑は、生ぬるさ、というものです。
しかし私達は、生ぬるさから抜けだして、熱心な悔い改めを持って主を求め、御言葉を飢え渇いて味わい、聖霊様との関係の中で日々新しく作り変えられ、聖められる事を求め続けましょう。そうする時に必ずこれから起こる大リバイバルの時に、私達は、それをになうために十分に役立つ器となる事が出来ます。
■A:考えてみよう
終わりの時代と、大リバイバルへの備えは出来ているだろうか?
今こそ自分の生活だけで満足する事から目を覚まし、生ぬるさから抜けだして、熱心に主を求める時です。
■P:祈り
主よ。この終わりの時に私たちにあなたの計画の啓示を開いて下さい。そして、生ぬるさに打ち勝つ悔い改めの霊を注いで下さい。
聖霊の力と御言葉の約束を握りしめ、また主イエスの血潮で洗われた聖徒として、日々整えられ、これから主がなされる計画の為に私を用いて下さい。日々十字架を負い、あなたについて行きます。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
【 しんご 】
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