■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記 3章13節
★全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
■O:今日のコラム
モーセが死に、イスラエルの民がヨシュアに導かれて約束の地に上っていくとき、はじめに勝ち取ったのがエリコの町です。今日の聖書箇所では、エリコに向かってヨルダン川を渡る様子が記されています。
契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川に立つと、川はせき止められました。これは出エジプトのときに紅海が分かれたのと同じ奇跡です。
「ちょうど、あなたがたの神、主が葦の海になさったのと同じである。それを、私たちが渡り終わってしまうまで、私たちの前からからしてくださったのである。」(ヨシュア4:23b)
約束の地に入っていくイスラエルの民は、ヨシュアとカレブを除いた全員が荒野で生まれた者です。つまり、彼らは葦の海での奇跡を聞いてはいるが、見てはいない者たちでした。
葦の海では、追いかけてきたパロとエジプトの全軍勢が、主の御手によって滅ぼされました。主はヨシュアたちが敵との戦いに入る前に、同じ奇跡を実際に見せられました。イスラエルの民は、彼らのために戦われる主を思い起こしたはずです。
初代教会の教えによると、エリコの町は『世』を象徴し、イスラエルが勝ちとる約束の地は私たちの内なる人を表します。
私たちが内なる人を勝ちとる戦いをするときに、私たちも主が葦の海を分けられたことを思い起こす必要があります。それはつまりイエス様の十字架を思い起こすことです。
エジプト、パロは罪の力を象徴しています。イエス様は十字架においてすべての罪の鎖と囚われから私たちを解放してくださいました。また、実際的に私たちが内なる人に取り組むとき、ともに立ち、ともに戦ってくださるお方です。
■A:考えてみよう
葦の海はモーセが手を差し伸べたときに分かれ、ヨルダン川は契約の箱を担いだ祭司が立った時に分かれました。契約の箱は主の臨在のあるところであり、イエス様ご自身を表すものでもあります。
罪からの解放は主がしてくださいましたが、内なる人の完成は、主とともに立たなければなされません。
内なる人の完成の目標であり、私たちの内に来てくださったイエス様から目を離すことなく、また、贖いと解放を成し遂げてくださった十字架のみわざから目を離すことなく、内なる人の完成に努めてまいりましょう。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
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