■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書2章21~22節
★だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。
また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」
■O:今日のコラム
この話の前には、「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために着たのです。」というエピソードがあります。文脈的にここを見るなら自分が変わらなければならない存在ということを認めることの大切さが描かれていると言えるでしょう。
新しい布切れで古い着物の継ぎをするなら新しい布地の変化に古い着物は耐えることができません。新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるなら、新しいぶどう酒の発酵による変化に古い皮袋は耐えることができません。
人は一般的に年をとると変化を好まなくなります。逆に若者は常に変化を楽しみます。これはあくまで世の基準です。神の国にあっては逆のことが起こります。主を待ち望む者は日々新しくされ、柔らかにされ、へりくだって自分が変わるべき存在であることを受け入れていくようになっていくことを感謝いたします!世にあっては年寄りみたいな若者だっているのです。
この「継ぎ切れ」という言葉は直訳では「欠けを満たすもの」です。私たちの欠けを満たすために主は恵みを与えてくださいます。律法だけによってはできなかったことを御霊(ぶどう酒)はできるようにし、欠けを満たしてくださるのです。
そのためには、自分には罪があること、自分には欠けがあることを正直に認めて主の御前にへりくだる姿勢が大切です。人と意見がぶつかる時にも、ひょっとしたら自分の中に変わるべき部分はないのだろうか?と問いかける心は重要です。
■A:考えてみよう
私たちは変わらなければならない部分を抱えている、まだ未完成な者であることを認めましょう。成長は自分はもう充分に成長したと思う時に止まってしまいます。
私たちの至るべき成長は、誰かと比べてどうこうというのではなく、イエス様の身丈にまでであり、父が完全なように完全に成熟を遂げた者となることです。
■P:祈り
主よ。何か上手くいかない時に、自分の中に変わるべきところがあるなら、明確にお示しください。全ての機会を神に近づくために用いることを願います。私をイエス様の身丈にまで成長させ、成熟した者へと成長を与えてくださる主を褒め称えます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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