■S:今日の聖書の言葉
第一 サムエル記 1章28節 (同2章)
★ (ハンナは言った) 「それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」 こうして彼らはそこで主を礼拝した。
■O:今日のコラム
今日の箇所では、不妊で苦しんでいたハンナが、主に子どもを下さいと涙ながらに求め、主がその祈りに答えて下さった時の話です。
ハンナはやっと与えられた息子サムエルを乳離れするまで育てたあと、主に捧げるべく、祭司エリのもとへと連れていきます。ハンナが長男サムエルを捧げた時点では、ハンナにはサムエル以外に子どもはいませんでした。
母親としては、やっと産んで、愛し育てた子どもを手放すことは、ものすごい痛みと葛藤がともなうことだと思います。
このことを考える時、彼女の 「すべてを捧げる」 信仰に感動します。
私たちが主から与えられた初ものを、主に惜しみなく大胆に捧げる時、神様は必ず報いて下さいます。私たちが仕えているのは、私たちが捧げたものを何倍にもして報いて下さる気前のいい神様なのです!
その後、神様はハンナを顧みて下さり、さらに3人の息子と2人の娘を与えて下さいました。
主が私たちに下さった一日の初めの時間を捧げ祈りに費やすこと、什一献金として収入の初ものをささげることなど、何事においても、初ものを捧げることには痛みや葛藤がともなうかも知れません。けれども、そこに大きな報いがあることを覚えましょう。
ハンナは 「私にはサムエル以外に子どもがいないから、この子は主に渡せない…」とは言いませんでした。
「今日は忙しくて時間が無いから…」 「この分のお金はとっておかないと…」 そういう不安は確かにあるでしょう。
けれども、初ものを捧げる時に神様が何倍にもして、残りのものを祝福して下さることを覚え、今年一年大胆に惜しみなく初物を主に捧げて、豊かに蒔いて豊かに刈り取る者となりましょう。 ハレルヤ!
■A:考えてみよう
自分がまだ葛藤を覚える捧げものは何だろう?
強いられてでもなく、いやいやながらでもなく、喜んで捧げる者となることができるよう、神様に求めてみよう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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