■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き7章55節

★しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

■O:今日のコラム
今日の聖書箇所は、ユダヤ人たちに訴えられたステパノが弁明をする場面です。ステパノがユダヤ人たちから訴えられたのは妬みのゆえでした。

当時はユダヤ教・キリスト教という区別はなく、キリスト者たちはユダヤ教徒に異端扱いをされていました。彼らは少なくとも同じ神に仕える者という認識を持っていたはずです。同じ神に仕える者同士が、妬みのゆえに裁きあい、訴えあう光景は現代の教会においても見られるものです。

しかし今日の聖書箇所を見ると、ユダヤ人たちに訴えられたステパノは争うことをしませんでした。それは、彼が聖霊に満たされていたからです。

「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、」(使徒7:55a)

対照的に、ステパノを訴えたユダヤ人たちはこのように言われています。

「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」(使徒7:51)

特に今日は、私たちを取り巻く状況は目まぐるしく変わり、多くの選択・決断を迫られます。教会で礼拝を続けるのか、礼拝を閉じるのか、教会に集まるのか、家にとどまるのか。

誰が何を言うか、誰にどう思われるかではなく、主が私たちに何を求められておられるのかに、絶えず思いを向けたいと思います。人からの評価ではなく、「主が私をどう評価しておられるのか」だけに心を向けることが必要です。

「さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。…あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。」(1コリント3:1,3a)

「自分は人からこう評価されている」という思いは多くの場合、「自分が自分をどう評価しているか」、もしくは「自分が他人をどう評価しているか」の現れです。

「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。」(1コリント4:3)

「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」(1コリント4:5)

聖霊に満たされたステパノは、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見ました。神の栄光とは、聖霊様によって注がれるよみがえりの力です。

「それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:4b)

神の右に立っておられるイエスとは、私たちをとりなしていてくださる大祭司としてのイエス様です。

「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)

私たちが聖霊に満たされるとき、イエス様のとりなしに信頼しつつ、聖霊様のいのちの力によってこの地上を歩むことができます。

■A:考えてみよう
今日、主が私に求めておられることはなんだろうか。
主は私をどのように評価しているだろうか。
どうすれば、一日中聖霊様の声に耳を傾けることができるだろうか。

■P:祈り
聖霊様、あなたの声を聞きたいです。一日の全てを、あなたの心に従って歩みたいです。私のこの願いを知り、あわれみ、私の耳を絶えずあなたに対して開かれた耳にしてください。私の心を絶えずあなたに向かう心にしてください。

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 けいしろう 】

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