■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙3章7~8節
★ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。
■O:今日のコラム
聖書は、「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」そのように言われています。
モーセの時、エジプトで奴隷として苦しんでいたイスラエルの民は、神様によって奴隷から解放されたにもかかわらず、事ある毎に神様を信頼しない、感謝しないということがありました。荒野の40年を通して約束の地カナンに入れたのは神様に信頼して従った者たちだけでした。
ここの箇所は、この時の人々の失敗を背景に語られているのですが、私たち人間は同じ失敗を何度も繰り返します。あの旧約の時代と同じ罪人の習性は変わっていないんです。
私たちは、祈りの中で「主よ、あなたの御声を聞きます。語ってください。」そのように祈る事が多いと思います。そして、語られた事が自分の思いとは違うという事が多々あるのではないでしょうか。
例えば人間関係で「主よ。今日友達と言い争ってしまいました。それは、先に相手が私に対して悪い事を言ってきたのに、私の方が悪いと言うからです。私は本当に悪くないんです。」そのように祈ると、神様が「謝りなさい。あなたの方から友達に謝りなさい。」と、そのように言われたらあなたはどのような反応をしますか?「なんで私が謝らないといけないんですか!私は悪くないんですよ!相手が悪いんです!謝るのは向こうです!私からは絶対に謝りません!」かなり極端ですが、そのような事ってないですか?
どうしても罪人の習性で、自分本位、自分が主、自分さえ良ければ、という感情が出てきてしまうという事があるんです。私たちは、いつも神様に目を向け、信頼して歩む信仰が問われているのではないでしょうか。
神様に対して頑なになることなく、へりくだって心を柔らかく、聖霊の御声に忠実な者となりましょう。ヨハネの福音書20:27に「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」そのように書いてあるように、神様の御声を信じない者にならないで、信じる者になりましょう。いつもみことばに従い、みことばを信じて歩む者となりましょう。
■A:考えてみよう
信仰の創始者であり完成者であるイエス様の御声に従っているだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 てる 】
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