■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書12章49-50節(箴言12章)
★ わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。
■O:今日のコラム
主が地上に来られた目的の一つは、地上に火を投げ込むためでした。
この火は、私達に主を愛し、主を慕い求める情熱を与えてくれるものです。その火は、大水によっても消せません。
私達の教会では、人間の理解を超えるほどに燃え上がっている人々が大勢います。そのことによっても主をほめたたえます!彼らが人の情熱で燃え上がっているのならば、こんなにも長い期間、あんなに激しく燃え続けている事は出来ないからです。
私達は、主が地上に投げ込まれる火によって、燃やされなければなりません。
自分の力に頼り、燃え続けようとしても長くは続きません。自分の力に頼った炎は、一瞬は激しく燃え上がるけれど、『こんなペースじゃもたないよ。』と勝手にペースダウンを始めます。
アロンの息子たちが祭司の務めにおいて失敗し死んでしまったのは、『異なった火を捧げたため』とあります。私達の主を礼拝する祭壇の火は、主の炎によって燃やされ続けなければなりません。
私達が主の炎によって燃やされているならば、礼拝の中で、祈りの中で自分の力を超えたブレイクスルーが起き、その火は激しく燃え続けます。
私達は主に信頼し、ますます燃え上がっていきましょう。主が燃やしてくださるからです。礼拝の喜び、祈りの喜び、捧げる楽しみ、命をかけて愛する幸せがそこにあります。
そして主は、喜んで私達に火を下してくださいます。その為に地上に来られたからです。
50節に『私には、受けるバプテスマがあります。』とありますが、主には与えるバプテスマもあります。主は、私達に火と聖霊によってバプテスマを授ける方です。
しかし、主が『その火が燃え続けているのを見ることを、どんなに願っているでしょう。』と語られたように、その火を消してしまうことがあるのも事実です。
そのヒントは、テサロニケ人への手紙 第一 5章 にあります。
『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。』(テサロニケ人への手紙 第一 5章16-19節)という聖句です。
喜びと祈りと感謝のライフスタイルがなければ、その火は消えていきます。
喜びは、御霊の実であり恵みです。
感謝は、私達の信仰(仰せを信じる、つまり御言葉に関わっています)による選択です。そして絶えず祈ることは、私達の行動にあり、ライフスタイルに大きく関わっています。
御言葉と祈り、特に異言によって、御霊により頼んで祈るライフスタイルは、私達が燃え続け、ますます燃え上がっていくためになくてはならないのです。
■A:考えてみよう
異言の祈りと御言葉のライススタイルを持つ。主に信頼して燃え続ける。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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