■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書15章1~2節

★わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

■O:今日のコラム
この聖書箇所を朗読する度に、神様は実を結ばないものを取り除き、実を結ぶものでさえ、もっと多くの実を結ぶために刈り込みをなさる方であることが分かります。

この聖書箇所を読んでからぶどうの選定について興味が湧き、調べてみました。すると「その植木の生きる力を伸ばしてあげるためには、切り過ぎると思われるまで剪定したほうがいいとも言われています。」と書かれていました。ぶどうの枝を剪定する時に、思い切って枝を剪定した方が結実するのだそうです。

個人的な印象としては、取り除かれたり、刈り込みされるのは、痛そうだなと思ってしまいます。しかし、この聖句の中で注目するべきことは、「もっと多くの実を結ぶため」であるということです。

私たちは、クリスチャンとして実を結ばない者でありたくありません。より多くの実を結ぶ者へと成長したいと誰しもが思うでしょう。しかし、私たちが成長し、実をより多く結ぶプロセスの中で、神様の手によって刈り込みされることがあるということです。私たちは刈り込みされていると嘆く必要はありません。むしろ、もっと多くの実を結ぶことためなんだと神様に感謝することができます。

別な例えで、ヘブル人の手紙の中で主の懲らしめが平安な義の実を結ぶために益として書かれています。

「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:10~11)

誰でも親から叱られて心地よい思いをする人はいないでしょう。私自身も同様です。しかし、この箇所を読んだ時にその思いが変えられました。父の懲らしめは、愛であるという思いが与えられました。そして、懲らしめは自分にとって有益であるという考えに変えられました。神様の愛と思う時、その訓練を感謝して受け止めることができるようになりました。そして、訓練されている時に、今は悲しく、喜ばしく思えなくても、神様の時に平安な義の実を結ぶことができるようになるんだという神様にある希望を見つめ、喜ぶ思いが与えられました。

私たちに与えられているチャレンジを主の約束を見つめて、喜んでいきましょう!また、神様のみことばの約束を握り、告白し続けましょう。

■A:考えてみよう
今、試練の中にいる方がいるでしょうか?あなたに与えられている神様のみことばの約束を告白し続けましょう!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

カテゴリー: マナメール

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