■S:今日の聖書の言葉
ヤコブの手紙1章13~16節
★だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
■O:今日のコラム
ある婦人のこんな話を聞いたことがあります。彼女はダイエットをしていましたが、どうしてもチョコレートが食べたくなりました。そこで、「夕飯の買い物に行くから」という名目で車の鍵を取り、スーパーに向かいました。駐車場に車を止め、夕飯の買い物を済ませ、「見るだけ」と言ってお菓子コーナに向かいます。そして、「手に取るだけ」とチョコレートを手にします。
「今は食べないけど、倉庫に置いておこう」と考え、お会計を済ませて家に帰ります。しかし、買ってきたチョコレートが気になって気になって、結局は食べてしまったという話です。自分の欲に従った結果を例えている笑えそうで笑えない話ですね。
今日のみことばには、自分の欲に従った結果どのようになるかが書かれています。「欲がはらむと罪を生む」は、別の訳では「悪い欲望が身ごもると、罪を生み出す」とあります。このことから、聖書に登場する二種類の女性を見たいと思います。
「その水を飲ませたときに、もし、その女が夫に対して不信の罪を犯して身を汚していれば、のろいをもたらす水はその女の中に入って苦くなり、その腹はふくれ、そのももはやせ衰える。その女は、その民の間でのろいとなる。 しかし、もし女が身を汚しておらず、きよければ、害を受けず、子を宿すようになる。」(民数記5:17,18)
人の妻が不貞をはたらき、それが夫に隠れている場合、祭司は彼女を主の前に立たせ、ねたみのささげ物を持ってこさせ、苦い水を飲ませます。もし、女に罪があれば腹がふくれ、ももがやせ衰えますが、罪がなければ子を宿すようになります。
苦いとは、ヘブル語で「マラ」といいます。
「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。」(出エジプト15:23)
また、水はヘブル語で「マイーム」と言います。フォークダンスで有名なマイムマイムは、「泉が湧き出た、喜べ」という、仮庵の祭りの最後の大いなる日をヘブライ語で歌っている歌です。
つまり、苦い水とは「マラ・マイーム」と言います。これがそのまま名前になった人物がいます。それがミリアムです。また、新約聖書では同じミリアムという名前が別の名前で呼ばれています。それがマリヤです。ミリアムとマリヤは同じ名前です。
不貞をはたらいた女、つまり欲望に従った女に真理の象徴である水が入るなら、その腹は実を宿さずに膨れます。しかし、神の戒めに従って歩む正しいものは子を宿します。しかも、苦い水という名前のマリヤから救い主がお生まれになりました。
聖書で女は教会を意味することがあります。毎週集まる教会でも、また、2コリント6:16にあるように、私たちが神の宮です。これがみことばに従って正しく歩んでいなければ、同じ腹が膨れているように見えても、中に子が宿っていないものになってしまいます。
聖書の中で繰り返し見た目は同じですが中に実があるものとないもののたとえがあります。今日の聖書の箇所も同じです。いくら社会的に立派に見えていても、内なる人が幼いままでは神の基準に達することはできません。とても地味で忍耐のいることですが、今日もみことばによって内なる人を変えられることを求めて、みことばに従って生きていきましょう。
変えられない自分を見て嘆くのではなく、それでもなお私を受け入れ、赦し、愛してくださる神の恵みに目を向けていきましょう。
■A:考えてみよう
自分の腹の中にはなにを宿しているだろうか。自分は欲望に従って生きているだろうか。それとも、たとえ自分が望まなくとも、神の戒めを選び取って生きているだろうか。欲望のままに生きる生き方は獣の生き方です。
「だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。」(伝道者の書3:21)
獣の生き方、つまり神の御教えに従わず、自分の欲望に従う生き方をするなら、上のみことばのとおりになります。イエス様は誰一人、そのようになることを願っておられません。そのために十字架にかかってくださったのですから。
一度イエス・キリストの十字架の死と葬りと復活を信じたのであれば、それにふさわしい生き方をしようではありませんか。そうするなら、苦い水を飲んでも害を受けず、かえって子を宿すようになります。
■P:祈り
いつも私を愛してくださる天のお父さん、あなたの愛と赦しを心から感謝します。
イエス様はいのちをかけて私たちの罪を贖い、愛を示してくださいました。そして、今もみことばを日々送ってくださっています。それなのに、私はそのみことばに従うよりも自分の欲に従ってしまう弱さがあることを認め、悔い改めます。赦してください。
一度だけ「イエス様を信じます」と言って、あとは自分の好きなことだけを優先している生き方から、自分を十字架につけて、みことばに従って歩む生き方へと私を造り変えてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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