■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二13章5節a
★あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。
■O:今日のコラム
今、私たちの教会では日々のとりなしの祈りを通して、神の家族、また日本の周りに霊的な城壁を建てています。
「1年続けよう」という目標をもってスタートしました。この日々のとりなしを始めてからもうすぐ3ヶ月になります。
私たちは「イエス様の血潮を宣言する祈り」の著者であるアテフ博士のセミナーの中での教えに励ましを受けて、始めました。アテフ博士は「一日も欠かさずとりなし祈る時、1年後には私たちは実りを見始めることができるでしょう。」と分かち合われましたが、最近、神の家族の中で見るのはすでにとりなしの祈りによる城壁によって守られている姿です。
私たちの主は私たちの弱い信仰を励ますために、1年経たずとも、すでに祈りの城壁による実りを私たちに見せて下さっているのを感じ、感謝が尽きません。
このとりなしの祈りは、日によっては、ただ人々の名前を読み上げるだけになってしまう、本当に質素で小さな祈りです。
けれども、一日も欠かさずにとりなし続けることの意味と大切さを、日を増すごとに感じてきています。昨日までの祈りなくしては、今日の祈りを積み上げることは出来ません。このことを通しても、毎日の積み重ねというものの大切さを痛感させられます。
今日のみことばの箇所では
「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」
と語っています。
詳訳聖書においては、
「あなたがたは自分自身、信仰を持っているかどうか、信仰にふさわしい実を示しているかどうかを調べためしなさい。キリストではなくて、あなたがた自身を調べ吟味しなさい。」
と書かれています。
ピリピ2:12には
「恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」
とありますが、これは怯えながら生きるという意味ではなく、「私は間違っていないだろうか。この歩みは主の御心からそれていないだろうか。」と一歩一歩を確かめながら歩くことであります。
私たちは、大きな目標や目立つことを達成することに気をとられてしまいますが、一番大切なのは「今日の歩み」であると感じます。今日の信仰の歩みを主は見ておられます。
今日、私がどれだけ御父の御心を行うことが出来たか。今日、どれだけ御心を祈ることができたか。今日、どれだけ御父のご計画の中を歩むことができたか。今日、どれだけ私の心がキリストの心に近づくことができたか。今日、私の心の態度はどれだけ、花婿を喜ばせていたか。今日、私が主のしもべとして、成すべきことを成すことが出来たか…etc
これらのすべてを一日で成し遂げることは到底できません。そのために、日々が与えられています。今日の小さなとりなしが、高い堅固な城壁を築く一歩であるのと同じように、私たちが今日、一歩、御父の御心に生きるその積み重ねが、私たちを「完全な者」へと導くと信じます。
そう考えると、私たちには一日も意味のない日はなく、また、一日たりとも無駄にすることはできません。
私は毎朝「あなたが私に願っておられる通りに、今日の一日を生きることができますように。」と願い祈り求めます。
たとい、自分の思い通り、願い通りに一日が過ぎていったとしても、たとい、人の目に立派に見えることを成した一日であったとしても、もしそれが御心から逸れているならば虚しいものです。
■A:考えてみよう
御心にかなう歩みを、今日、共に主の御前に積んでいきましょう!今日の小さな一日は、なくてはならない重要な一日です。
今日も私たち一人ひとりが、御心にかなう一歩を進むことができますことを、祝福します!
■P:祈り
「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マルコ8:36)
日々、私が何かを得ることに忙しくして、いのちなる主よ、あなたを失うことがありませんように。むしろ、今日も、私が握り、持っているものをあなたの御前に手放すことができますように。
与えられている「今日」という大切な一日を、あなたの御心をなすために使うことができますように。大きなこと立派なことでなくとも、あなたのお心を喜ばせる小さな一歩を歩ませてください。あなたを愛し、隣人を愛する一日、あなたに仕え、隣人に仕える一日でありますように。私の「今日」を御前にお捧げします。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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