■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二3章1~3節
★私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。
私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。
あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
■O:今日のコラム
パウロは自分の正当性を何によって実証しようとしているのでしょうか?それは福音を伝えることによって生み出した霊的な子孫によってでした。聖書は、実を見て良いものと悪いものを見分けなさいと教えていますが、その実の一つは子孫です。イエス様はこう語られました。
「人の子が来て、食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。」(ルカ7:34~35)
クリスチャンは皆、キリストの手紙です。この心の板に御霊によって御言葉が書かれています。そしてそれを知り、読むことができると書いてあります。誰が知り、誰が読むのでしょうか?それは私たちに関わる全ての人です。
私たちの周りの人々は、私たちの御言葉の通りの発言、立ち居振る舞いによって読むことができるのです。私たちが命じられた御言葉の通りに生きることは聖書的な伝道方法であり、御霊によって証人となることです。
御霊によって愛と喜びをもって生き生きと人々を愛し、仕えているなら(実はそれ以上に神を愛し、神に仕えているのですが)人々はあなたの語る御言葉を受け入れやすいでしょう。
私の知っている中国宣教をしている先生は、元暴走族ですが高校生のときに出会ったバイト先のお茶屋のおばちゃんが、心から喜んで人々に仕えている姿を見て衝撃を受け、「あなたの信じている神を知りたい」と言って教会に行きイエス様と出会ったと言っていました。
同じことが私たちの周りの人々にも起こるのです。私たちは御言葉が記されたキリストの手紙なのです。
■A:考えてみよう
伝道というと構えてしまい、萎縮することもあるかもしれません。しかし語られた御言葉に従って生きることを土台としましょう。そして機会が与えられれば、御言葉を語り、祈ってあげましょう。イエス様を紹介しましょう。
■P:祈り
聖霊様。私の心の板に、ますます御言葉を書きつけてくださいますように。私の心の板に書かれた御言葉が人々に読まれ、知られるようになることを感謝いたします。私の周りの人々をどうぞお救いください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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