■S:今日の聖書の言葉
テトス1章15~16節

★きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。

■O:今日のコラム
ルカの福音書に、このような聖句があります。

「そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(ルカ21:27~28)

終わりのとき、教会の完成のとき、私たちのからだが真っ直ぐにされる必要があります。それはアライメントされるという言い方ができるでしょう。アライメントとは一本のラインに沿って整列されるという意味です。私たちの心と考え方と口と行いがアライメントされる必要があります。

テトスで書かれているクレテ人は、口では神を知っていると告白していました。その告白は立派です。私たちの人生は口によって方向付けされていきます。しかし彼らは、行いにおいては神を否定していました。なぜこんなことが起こるのでしょう?それは15節にある通り、心と考え方においては神を否定していたからです。

耳から入った御言葉が、心に入るまで告白することは大切です。悪い言葉は取り除かなければなりません。ただ神の御前にだけは正直に告白してください。しかし、何より信仰の告白が必要です。そして自分の信仰と結びついたときに語られる言葉は、御霊の力を帯びて解き放たれる力ある言葉となります。その告白は御言葉の成就を実際にこの地上にもたらすことになります。

私自身いつも取り組んでいることがあります。それはこの一連の流れに反するもの、言い換えれば神に逆らうあらゆる心、考え方を十字架に差し出し、キリストに服従させることです。そうするときに自分の中でアライメントが整っていくのを実感できることを信じます。

■A:考えてみよう
自分に語られた御言葉を告白する時間を持ちましょう。そしてそのことを否定する何かとぶつかる度に十字架の前にそれを差し出しましょう。

■P:祈り
主よ。あなたが私の主です。あなたの御心が成し遂げられることのために、あなたの喜びのために私を捧げます。あなたを主としない心、考え方、口、行いがあれば、イエス様の十字架に差し出します。十字架の贖いの恵みにあずからせてくださることを感謝いたします。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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