■S:今日の聖書の言葉
列王記第二23章25節

★ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。

■O:今日のコラム
第二列王記23章では、ヨシヤ王によって、主の神殿にあった偶像やそれらに関わる人々、器物が徹底的に取り除かれた、ということが記されています。熱心な悔い改めが、行いによって表されています。

このヨシヤ王の熱心さはどこから来たのでしょうか。それは「契約の書との出会い」から与えられました。ヨシヤ王が王になり、契約の書に出会うまでの18年間、宮の偶像は放置されたままでした。しかし、律法の書が発見されて、いかに自分たちの歩みがみことばから逸れていたかに気づき、罪を悟った時から変革は始まりました。

「イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:23)

上記の御言葉には「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守ります。」と書いてありますが、ヨシヤ王が契約の書に出会った時、御言葉の基準に帰りたいと願い、実際に行動しました。私たちの古い人の魂の都市に建てられている偶像や敵の祭壇を、眺めているだけ、放置するのではなく、ヨシヤ王のように徹底的に取り除く必要があります。その時に、神様の住まいが私の内側に回復されます。

「これは、かすめ奪われ、略奪された民のことであって、若い男たちはみな、わなにかかり、獄屋に閉じ込められた。彼らはかすめ奪われたが、助け出す者もなく、奪い取られても、それを返せと言う者もいない。」(イザヤ42:22)

時に、きりがない私の内にある偶像や汚れに向かうことに疲れを覚えてしまうことがあるでしょうか。

ある方が、「悔い改めや、血潮の宣言、御言葉の朗読、根の祈りは『手段』であって『目的』ではない。目的はイエス様の似姿になること、イエス様と一つにされることであり、目的を見失わないようにしないといけない。」と、分かち合っておられました。

私たちの信仰の歩みの中で行うこと一つ一つが、To do リストかのようになるなら、喜びが失われ、生きた主との歩みではなく、宗教になってしまいます。そして、敵に奪い取られても、取り返そうとする「意思」すらも持てなくなってしまいます。

「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか。』」(ヨハネ5:6)

イエス様は、ベテスダの池で伏せっていた病気の人に、よくなりたいか?と、彼がどう思っているか、彼の意思を確認しようとされました。

「するとイエスは彼に言われた。『だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。』」(ルカ9:62)

血潮の宣言文の中には、意思の回復のための宣言文もあります。つかんだものを離そうとしてしまう、弱さが自分の中にあることを認めます。神様が恵みによって、私たちのうちに始めてくださったことを、最後まで成し遂げる意思が回復されますように。

自分のやりたいこと、楽なことを掴もうとする、私が主人となった意思が砕かれていきますように。どこまでも父の御心に従った、イエス様の意思と一つとされ回復されますように。

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(ルカ22:42)

■A:考えてみよう
「契約の書」であるイエス様との出会いが、御言葉を通して与えられますように。

自分の中に、よくなりたい、回復したいという願いがあるかどうか確認し「イエス様の意思」と一つにされること、回復されることを祈りましょう。

(「イエス様の血潮を宣言するテキスト」参照P66「腕、手」P88「胴と太もも」)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 こばあい 】

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