■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙2章12節
★そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。
■O:今日のコラム
今、新宿シャローム教会では、礼拝メッセージでチャレンジを受け「根の祈り」に神の家族で取り組んでいます。
「しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。」(ルカ17:6)
何度悔い改めても、繰り返す弱さや悪い習慣、罪と肉に属する生き方、そこには原因がありました。罪によって結んだ実を悔い改めて、何度刈り込んでも「根」が変わっていないので、また同じ実を結んでしまう、ということでした。
一人一人が「私の根を教えてください」と御霊に聞き、取り扱いを受けていますが、大きく2つの根・木があることをレーマ聖書学院で学びました。それは「善悪の木」と「いのちの木」です。
「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7)
自分が神となり王座につき、中心についているのであれば、私が主人となり、自分で善悪の判断をしているのであれば、未だに私たちはこの世の考え方、古い思考に支配され「善悪の木」の根が張っている状態です。
しかし、この根を抜き取り、私たちが「いのちの木」であるイエス様に根ざすのであれば、自分のために生きていた私が、造られた目的に従って神様のために生きるようになり、やがて天のお父さんの御前に立つ時に、多くの実を結んだ者として、神の家族で互いの実を祝い合い、天のお父さんに栄光をお返しすることができます。
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:11)
自分自身がこの祈りに取り組む中で、「救いの達成」に努めるときにこの祈りは、とても地道で時間のかかるものであると同時に、本当に大切な祈りであるということを思わされました。
自分の内なる人がもう完成したわけではありませんが、この祈りの中で、ある財産を得たように思います。それは「神様との親密さ」です、と言いたいところですが(笑)それも間違いではないですが、根の祈りの中で本当に苦しかった時期を振り返る時に、本当に感謝だなと思ったのは「神様と過ごした時間」です。もっと正しく言うならば、私ではなく「神様が私と時間を過ごしてくださっていた」ことを知ったことです。
自分の中にある、頑固で変わらない性質や弱さが溢れ出てくる度に、認めたくない自分、向き合いたくない自分、逃げだし放棄してしまいたい自分と出会いました。初めにあった感動もなくなり、恵みを忘れ感謝もなく、業務をこなすように淡々と祈った時もありました。神様の語られる声に耳を塞ぎ、反発し、あまりにも複雑な根の迷路の中で迷い、恐れから自分で作った防御壁の中に隠れ、心が閉じかけていました。
ですが、愛する霊的な父母の励ましと祈りを通して、逃げることから守られ、天の父の懲らしめを受ける恵みに預かりました。
「父の懲らしめを受けることは、本当に苦しく、痛いことだけれど、子が苦しんでる姿を見ている天の父の心は、もっと痛く苦しい。でも逃げずにとどまり続ける愛ちゃんを、天の父は誇りに思っているよ。」
ある方がそのように祈ってくださり、本当に励ましと慰めを受けました。
天のお父さんは、私を決して見離さず見捨てない、愛と憐れみに満ちたお方です。こんなどうしようもない私を信じ、期待し、諦めることのないお方です。私ができる時もできない時も、手を離さずに共に歩んでおられて、私の考えていることに興味を持っておられて、いつも一緒にいてくださり、強制してではなく、私が自らの意思と願いを持って御前に来るのを、いつも忍耐深く待っていてくださるお方です。
プロセスがあってこそ、完成に至ります。長い時間をかけて、関係は築かれていきます。救いの達成、内なる人の回復、根の祈りに取り組む中で、私が何かになるのではなく、毎日神様と出会い、神様と歩み、神様の真実さ、忠実さ、誠実さを知ることができますように。
神様と行う共同作業の中で、喜びも、痛みも含めて、様々な愛の味わいを、主が共に過ごしてくださる時間の中で味わうことができますように。
■A:考えてみよう
下記の御言葉を朗読し、黙想しましょう。御言葉に基づいた信仰が、今日一日、私たちの心と思いを満たしますように。そして引き続き、根の祈りに取り組んでまいりましょう。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 こばあい 】
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