■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙5章6節、25節 (歴代誌 第一 5-6章)
★ 「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」
「もし、私たちが御霊によって生きるなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」
■O:今日のコラム
当時、ガラテヤ地方の諸教会では、割礼を受けないといけないのか、受けてはいけないのかという「義、正しさ」についての問題がありました。
割礼を受けることは、言ってみれば、自分の努力や行ないによって自分を正しい者とすることを意味します。
現代の私たちは割礼の習慣こそありませんが、“何とかして自分の行ないや努力によって、自分を神の恵みにふさわしい者にしよう” 症候群に、すぐにかかってしまいます。
しかし、私たちを神の救いを受けるにふさわしい者としてくれるのは、十字架の血潮以外にありません。自分の中の律法主義者が、自分を追い立ててきて苦しくなったら、いつもこのことを思い起こして、十字架を仰ぎ見ましょう。そして主の臨在の中に安息を見つけましょう。
その一方で、私たちは主に与えられた自由を履き違える誘惑からも自分を守らなければなりません。この自由とは霊の自由であって、好き勝手にやる肉の自由ではありません。
13節では「その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」と言っています。
『仕える』とは誰かに対してしもべになることです。私たちの考える「自由」とはむしろ正反対のものです。
自分の努力で “義” とされるのは不可能、かといって好き勝手にやるのが自由ではないとしたら、じゃあどうしたらいいのでしょう。どうしたら、自分を主の御前で喜ばれる姿に保つことができるでしょうか。
それは、いつも御霊に導かれて歩むことです。
また、今日の箇所にある「愛によって働く信仰」は、別訳では 「愛の実践を伴う信仰」 とあります。
私たちは、今日も御霊に従い、また、お互いに愛をもって仕え、愛の実践を伴う信仰を働かせることを目指していきましょう。それこそが、主に喜ばれる歩みです。アーメン!
■A:考えてみよう
自分を義とするために、何か無理して疲れていることはないだろうか。
今日、自分が愛をもって仕えるべき相手は誰だろう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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