■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙 第二 1章9節(歴代誌 第一 8章)
★ だれでも行き過ぎをして、キリストの教えのうちにとどまらない者は、神を持っていません。その教えのうちにとどまっている者は、御父をも御子をも持っています。
■O:今日のコラム
数年前から、私は、目覚ましをかけないでも、早朝に目が覚めて、祈りに導かれるようになりました。(イエス様が起こしてくださっている!と私は信じて喜んでいるのですが、夫は「頑張ってるね」と、にやにやしています…)
最近は、さらに、目が覚めた後、外に出て、プレアーウォーキング(祈りの歩行)をしています!
8月の富士祈祷登山の準備も兼ねて、1時間から2時間くらい、祈ったり賛美したり、オーディオバイブルジャパンの聖書朗読を聞いたりしながら、主を礼拝しながら市内を歩くようになりました。御国をこの地に解き放つ〜!○○さんを祝福して下さい〜、っと心の中で叫びながら…(笑)。
さて、ウォーキングを始めた最初の頃、時々道に迷いました。よく知っていると思っていた市内なのに、細い路地に迷い込んでしまうと、同じ場所をぐるぐる回ってしまったりしました。そんな時、いったん、大きな国道や車道に出られると、あ、この場所だったのか、とすぐに自分の位置がわかりました。
道に迷ったら、なんとか大通りを見つけて、そこに出る。という原則を学びました。
信仰の歩みも、ちょっと似ているなと思います。御言葉の細部、霊的な深みをどんどん求めて行くと、たまに、路地に迷いこんでしまったように感じることがあります。あれれれっっ…!? 行きすぎちゃったかな? そんな時は、すぐ大通りに戻った方がよいと思います。
聖書の大通りというのは、イエス様の教え、イエス様の言葉、イエス様の生き方、だと思いました。
以前こんな言い回しを聞いて、アーメン!と思ったことがあります。それは、
The main thing is to keep the main thing the main thing. 大事なことは、大事なことを大事にすること。
大事なことは、人として来られた神の子、イエス様の十字架で、私たちのすべての罪が赦され、神様の子どもとなれたこと。それを心から信じて、毎日、悔い改めをもって信仰をもって神様に近づくこと。神様から、愛をいっぱい受けること。
その愛をもって、全力で神様を愛し(神様の命令を守り)、隣人を自分のように愛すること。神様が私を愛し、赦し、受け入れてくださったように、私も、隣人を愛し、赦し、受け入れること、だと信じます。
今週も、イエス様の御顔を慕い求め、神様御自身を追い求め、神様の愛で心満たされ、その愛と力、命、喜びをもって、神様と人とに仕えていきましょう!
■A: 考えてみよう
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。(マルコの福音書12章30節)
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネの福音書13章34節)
私のフォーカスはイエス様御自身だろうか? イエス様の教えから迷いでいないだろうか? イエス様から教えられたことを実行しているだろうか?
■P:祈り
イエス様が成し遂げてくださった罪の赦し、十字架の御業を信じて、今日も、自分の弱さや問題から目を上げ、神様、あなたに近づきます。
どうか今日も、あなたの愛でいっぱいに満たしてください。あなたから受けた愛をもって、あなたを心から愛し、隣人を愛していけるよう助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
【 とも子 】
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