■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き10章36節
★神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!
以前、ダンサーの人のブログで【なぜ三日坊主になってしまうのか?】というトピックの記事がありました。理由は、人間の脳は変わることを嫌うので、何かを始めても元に戻ろうとして戻ってしまう。しかし、三日坊主も10回続けたら30日、三日坊主で終わってしまってもまた再開したら良いですよ。という内容が書かれていました。
これは信仰生活を歩む私たちにも当てはまるのではないかと思います。
私たち人間は生きている年数分、自分の思考回路、自己義、生活習慣、バックグラウンドなどがあります。それは御言葉に伴っているものもありますし、そうではない偽りから(御言葉と異なっている)出ているものもあります。私自身は偽りから来る思考が多くあることに祈りと御言葉の生活の中で気付かされ続けています。
罪の根源は【自己中心】ですが、自己中心とは自分が人生の主人として歩むことです。
「イエス・キリストはすべての人の主です。」(使徒10:36)
「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。 」(詩篇100:3)
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)
「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。 」(イザヤ64:8)
イエスキリストはすべての人の主です。すべての人の最初はまず自分自身の【主】でなければいけません。もはや私は生きていないのに、残念なことに私はあらゆる領域において自己義があり、自分の考え方や主張があり、あたかも自分が陶器師かのように生きているのです。
「イエス様が私の主です!」と告白し、悔い改めても、気付いたら(数時間後、数日後…)いつの間にかまた自分自身が王座に着いているのです。。
先程書いたように、「本当に人間は変わることを嫌うんだ…」と思わされます。だからこそ、「いつも」「絶えず」自分のたましいに「イエスキリストは私の主です!」と教え、御言葉を宣言し、血潮の洗いを受けて、神の正しいアイデンティティーを自分のたましいに教え続け、間違ったところを正していかなければいけないのだと思います。
ユダヤの人たちがシェマーの祈り「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」(申命記6:4)この御言葉を口ずさむ理由はすぐに自分が王座に着いてしまうから何度も何度も自分のたましいにリマインドするのではないでしょうか。
先日の礼拝(2月24日の第3礼拝)の中でも「イエスキリストは私の霊の救い主、たましいの主、肉体の王です!」とひれ伏し、宣言し礼拝することが語られていました。
自分が主権を握ってしまう領域を明け渡し、自分に死んで、「私の主はイエス様です!」とたましいに教え続けましょう。
■A:考えてみよう
私の主はイエス様になっているでしょうか?
いつも、絶えず自分のたましいに「私の主はイエス様です!」と教えていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
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