■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き6章2節
★そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
■O:今日のコラム
初代教会の中で愛餐に預かれない者が出始めるという問題が起きました。ギリシャ語を使うユダヤ人たちが差別されていたからです。弟子たちは使徒にこのことを訴え出ましたが、使徒たちがこれに関わると当然、御言葉の奉仕は滞ることになります。そのときにこの御言葉が語られました。
物質的なパンよりも霊的なパンが優先であるということです。物質的な物が満たされたら、霊的なことに時間がさけると私たちは考えがちです。しかし、どれだけ物質的に満たそうと努力しても完全に満ち足りることは稀です。そのために奔走している間に霊的なことがなおざりにされることが起こり得ます。
教会という神の家にとって霊的なものが優先されたなら、私たち自身という神の家にとっても同じです。神の国とその義をまず第一にすれば、物質的な物も必ず満たされます。
私たちは行いが変わることのために努力します。しかしそのためには心が先に取り扱われなければなりません。外なる人が変わるためには内なる人が先に取り扱われなければなりません。御言葉を朗読し、祈り、悔い改め、自分の内側に新しい創造が与えられるなら、必然的に目に見える行動が変わるのです。
神が求めているのは、我慢して、喜びがなかろうが、とにかくやるというような従い方ではありません。もちろんとにかくやることは本当に大事なのです。まずやることです。やらなければ変化は起こりません。しかし、その中で自分の心に取り扱われなければならない領域がはっきり示されることが起こるのです。
そして、その度に悔い改めてイエス様の十字架の前に出て行くべきです。そうして内なる人が神によって生まれ変わり、御言葉の通りに変えられて行くなら、喜んで仕える霊が私たちを支えてくれるようになるのです。
聖書において神の宮はいつでも喜んで捧げる捧げ物によって建てあげられていきました。同じように私たちという神の宮も、喜んで捧げる生き方によって成長していくのです。
神が私たちに求めているのは、私たちが何を成し遂げるか(Doing)ではなく、私たちがどのような存在になるのか(Being)なのです。内なる人が新しく生まれ変わり続けるなら、必然、行動が変わるのです。
■A:考えてみよう
上部を人に良く見せることを優先するのではなく、心の中が主の前に喜ばれるものになっているだろうか?ということを優先しましょう。心の中が主に喜ばれるものになっているのなら、必然的に人々の目にもに素晴らしく映るでしょう。
■P:祈り
主よ。私の口の言葉と私の心とが御前に受け入れられるものでありますように。力の限り自分の心を見張り、私の内なる人が成長し、私の行動が変えられていきますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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