■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第二17章14節

★アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。

■O:今日のコラム
今日の箇所を読んだ時に、この御言葉が思い出されました。

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」(箴言19:21)

フシャイのはかりごとが、アヒトフェルのはかりごとにまさっているわけではありませんでした。別の箇所には、

「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」(第二サムエル16:23a)

とあるように、アヒトフェルのはかりごとは確かにすぐれていたのです。しかし、ただ一つ、「主が」アヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたゆえに、このことが成されました。

アヒトフェルは、自分のはかりごとが行われないのを見て、自殺しました(第二サムエル17章23節参照)。当然、自分の計画(自分がダビデ王だけを打ち殺すこと)が成し遂げられると思っていたのでしょう。また過去において、自分が進言したことが受け入れられたことに、自信やプライドがあったのかもしれません。

「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。」(箴言21:30)

人のどんなにすぐれた知恵やはかりごとも、主の前では何にもならないことを覚えます。と、同時に、私たちは自分の計画、はかりごとを、絶えず、主の前に手放すことが必要であると思わされます。それを握り続けて、自分を滅ぼすことのないようにです。

私たちには、自分の計画、願い、成し遂げたいことがあると思います。主の御心のままに、主のはかりごとだけが…と告白し、願いながらも、私たちの内にある性質は、どこまでも自分、どこまでも肉です。

私自身も、様々な状況や人を通して、そのような自分の内にある性質に気付かされる時、正直、認めたくない時がありますが、涙をもって悔い改めます。人でもなく、他でもなく、悔い改めるべきは私自身であることを覚えます。そして、私の計画、はかりごとの中に、主をお入れするのではなく、主の計画、はかりごとの中に、私が入ることを選び取りたいと願うのです。

そのためには、自分の力や熱心さでは出来ません。十字架が必要です。今日も、主の十字架の前に進みゆきましょう。私たちが誇りとするのは、私たちの計画、成し遂げたことではなく、主の十字架だけであることを覚えます。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(第1コリント1:18)

■A:考えてみよう
自分の計画を成し遂げること以上に、今一度、主のご計画、はかりごとの中に自分が入っていくことが出来るように、十字架を経験することが出来るように祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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