■S:今日の聖書の言葉
詩篇138:8
★主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。
■O:今日のコラム
以前友人が、クリスチャンがデザインした写真付きの画像を送ってくれたことがありましたが、その画像には、
× I ~
○ God ~
と書いてあり、私と神様の言うこと、やること、思うことが違うということが示してあるものでした。今日の箇所を読む中でそのことを思い出し、この箇所も主語は主であることに目が留まりました。
主はご自身が始められたことを全て主権の中で治めてくださり、導いて下さいます。主が全てを成してくださいます。天地さえも造られた方にできないことはなく、眠ることもまどろむこともないお方の中に私たちは生かされています。一番信頼するに値するお方が私たちの神様であることを感謝します!
ではこのことを私たちはアーメンと信じていても、頭で分かってはいても、本当に委ね、捧げきれているのでしょうか。ある領域は主に信頼できて、でも別の領域においては自分の方法、やり方、考え方で進もうとしてしまうのが私たちです。
しかし私の内に、私の行い、私の熱心、私の努力が土台や力になっているならば、神様は私の内で働くことはできません。私は、神様が働くスペースを奪ってしまっていることを何度も示され今も向き合っています。
すべきことをせず、しなくてよいことをしようとしてしまうのが私たちであると思わされます。
だから、なにもしなくていいと責任放棄する、ということではなく、すべきことは自分がからっぽになり、自分を手放すことではないでしょうか。主の御前に出て自分を明け渡すことです。私たちがすべきことは、難しいことでも、優れている人にしかできないことでもなく、皆ができるシンプルなことなのです。でもこのシンプルなことを任せらせているのにできないことを悔い改めます。
自分が低くされ、弱くされ、自分の内には何の良いものもない、と認めることは幸いなことです。私たちはそれを逆に、「私なんてどうせちりにすぎない、ちっぽけでだめな者だ…」と自己卑下してしまいます。でも、肉からは肉の性質しか生まれないように、どこまでも肉の性質のある私たちはある意味、自分にあきらめる必要があります。主にだけ期待すれば良いのです。
無にならなければ、ちりとされ粉々にされていなければならないのです。弱くされる、低くなるというステップを踏まなければなりません。そうなるからはじめて、主は引き上げ、主の形をつくることができるのです。
「主は、貧しい者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、彼らを君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。」(詩篇113:7~8)
それを認めることができる、悟ることが出来るのは、負けではなくて勝利の道です!完全さ、正しさはただ神様にしかないからです。そのような者たちの中に、神の御国、神の統治が現されていくと信じます!
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」(マタイ5:3)
「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ16:21)
もしも今日のこの御言葉を、「主は私にかかわるすべてのことを成し遂げてくださるから、私の祈りは聞かれる、私の願いはかなう…」と思っているならば、それは少し都合よくみことばを解釈しているのかもしれません。もちろん主は憐れみのゆえに願いや必要も満たしてくださいますが、結果がそうならないと、「神様は私にかかわる全てのことを成し遂げてくださらなかった」となってしまいます。
また口では主の栄光のために御業を成してくださいと言っても「私」という思いが入り込んできて、主の御業を自分の実や自分の証にしてしまいます。結果、成して下さった主が素晴らしいのではなく、私たちを高めてしまいます。
しかし「私」が空っぽになるから、「私」が神様を邪魔してしまうことなく、本当の意味で主は私にかかわることを全て成し遂げることができることを覚えます!
神様の心を成すことを妨げる「私」という性質が今日も打ち砕かれますように!
■A:考えてみよう
今日も心を注いで、主の御座の前に進んでいきましょう。
明け渡し、完全な神様の統治がお一人一人のうちになされていきますように。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ゆうこ 】
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