■S:今日の聖書の言葉
マルコによる福音書16章4節

★ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。

■O:今日のコラム
以前からこの箇所を読むたびに不思議に思っていたのですが、主が復活されたとき本当にこの石を動かして墓の中からでてきたのでしょうか。というのもヨハネの福音書には、

「弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるように。』」(ヨハネ20:19」

と記されているからです。

復活された主は、戸を開けなくても室内に入って来ることができたように、墓の石は墓から出るときに物理的な障害にはならなかったと考えると、「墓から出るため」ではなく、何かほかの目的のためにあえてこの石を転がした、と考えることが自然に思えてきます。

では、次にくるのは「なぜそのようなことをあえてしたのだろう」という疑問です。正しい答えはもちろんわかりませんが、墓にきた女たちのため、もっと言うと彼女たちが復活を信じられるように、あえて主がそのようにしてくださったのでは、と思わされました。

聖書を読んでいるとなんとなくの原理原則を発見することはできますが、神の言動や選択は、法則性を見出せるようなものではないと感じます。

私たちから見ると無作為に、なぜこのようなことが?といった悲劇も起こります。そのようなときには特に、主を信じることはとても難しいですが、「神は愛です」という前提にたち物事を考えるときその計り知れない壮大なる計画を垣間見るような気がします。

主は、墓から出るべくご自身のために石を動かしたのではなく、十字架の惨劇に悲しみ明け暮れていた女たちのために、しいては、彼女たちを通して伝えられた復活を信じる私たちのために、あえてあの大きな石を動かしてくれたことを感謝したいと思います。

■A:考えてみよう
今月、私たちの人生においてもあえて主が動かしてくださった石に気づくことのできる一ヶ月となることを祈ります。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れな 】

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