■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一17章11節
★サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。
■O:今日のコラム
古代の戦争は、神々の戦争と言える程に、戦士たちはそれぞれの国々が仕える神々を崇拝し、神々の名を口にして戦いに向かいました。実際に神々(悪霊)から特別な力を受け、戦場で驚異的な力を発揮したのです。
第一サムエル記17章に登場するゴリヤテも、ペリシテの神々の元に戦いに臨み、イスラエルの神を冒涜し、勇士たちをののしりました。しかも、ゴリヤテはこのあざけりを四十日間、朝早くと夕暮れに、イスラエルの軍勢の前に出て来ては繰り返し続けたのでした(16節 参照)。
その結果サウル王を始め、イスラエルの勇士たちは意気消沈し、非常に恐れました。この意気消沈する。という言葉は原語では「完全に打ち破られる」という意味です。イスラエルの勇士たちは敵と戦わずして完全に打ち負かされていたのでした。なぜでしょうか。それは四十日間毎日ゴリヤテの姿を見、彼のあざけりを聞き続けたからでした。
イスラエルの民は既に、思いと心の中で打ち負かされ、敗北をしていたのです。ゴリヤテの背後に働いていたのはサタン的な力であり、現在も悪魔はこの時と同じ策略をもって聖徒たちに戦いを挑んでいます。私たちの思いと心に戦いをしかけ、気落ちさせるのです。
その偽りを日々聞き続け、受け入れてしまうなら、私たちもこの時のイスラエルの勇士たちと同じように、戦わずして打ち負かされてしまうでしょう。特にこの終わりの時代には、サタンが口から大水を吐き出し聖徒たちを押し流そうとしています(黙示録12章参照)。そのサタンが吐き出す洪水の一つが、批判、訴え、つぶやき、不信仰の告白、不満、失望、落胆、怒りなど…です。
つぶやきがいかに聖徒たちを主の約束から引き離し、滅びへと向かわせるかは、エジプトを出たイスラエの民から教訓として学ぶことが大切です。
「また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」(第1コリント10:10~11)
最も大きな戦いは私たちの思いと心の中で起こります。だからパウロはテサロニケの手紙において、終わりの時代を生きる聖徒たちに対してこの様な勧めをしています。
「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。」(第1テサロニケ5:8)
信仰と愛の胸当てを装備する時、私たちの心の傷は癒やされ、怒りに赦しが勝利をし、恐れが主への信仰へと変えられ、満たされない心が主の愛により支配され、私たちの心が守られます。
また救いの望みのかぶとを装備する時、私たちの考えの中にある間違ったアイデンティティー(自己価値)に代わって、主イエスの十字架の救いに基づく考えが思いを治めるようになり、私たちは神の子、キリストの花嫁、聖なる者、圧倒的な勝利者など…主の約束に基づく考えが、私たちの思いを守るようになります。
重要な戦いは、私たちの心と思いの中で起こっています。今日、神の武具を身に付け勇敢にゴリヤテに立ち向かいましょう。
■A:考えてみよう
私を繰り返し失望させ、気落ちさせている出来事はないだろうか。自分の内を探り、それを今まで受け入れてしまっていたことを悔い改め、今日、神の武具を身に付けて私たちの心と思いを守りましょう。
そのために、一日のあらゆる時に、主の約束を思い返し、繰り返し御言葉を告白し、宣言しましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。