■S:今日の聖書の言葉
サムエル記第一12章2節
★今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。この私は年をとり、髪も白くなった。それに私の息子たちは、あなたがたとともにいるようになった。私は若い時から今日まで、あなたがたの先に立って歩んだ。
■O:今日のコラム
サムエルは、最後の士師であり、偉大な預言者でありました。
「サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。こうして全イスラエルは、ダンからベエル・シェバまで、サムエルが主の預言者に任じられたことを知った。」(第1サムエル3:19)
サムエルのことばは一つも地に落とされませんでした。つまり、彼が語ったことばは全て成就したということです。そのような偉大な預言者だったサムエルの息子たちは、サムエルと同じような偉大な預言者になったのでしょうか?
「この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」(第1サムエル記8:3)
サムエルによって同じようにさばきつかさに任命されましたが、お父さんのような道を歩まずに、さばきを曲げていたことが聖書の中に記されています。また今日の聖書箇所は、サムエル自身が語った言葉ですが、「あなたがたとともにいるようになった。」とあります。つまり、普通の人と同じようになったということでしょう。
クリスチャンの親であるならば誰しもが、自分の子どもたちも同じ信仰の道を歩むことを願うと思います。また、実際的な子どもたちがいなかったとしても霊的な子どもたちやまだ主を知らない人が主を知り、信仰の道を歩むようになることは誰しもが望むことだと思います。
ユダヤ人の親が、子どもが赤ちゃんの時から申命記6章4節~9節までを子守唄のように聞かせるということを聞いたことがあります。そのことにより、子どもたちの中にそのみことばが入ります。だから、私たち親は(霊的な親も含めて)、日々子どもたち(霊的な子どもたち)に、まだ主を知らない人たちにみことばを教える、分かち合うことはとても大切なことだと思いました。
またみことばを受け取った人たちも、サムエルの息子のようであってはなりません。「この息子たちは父の道に歩まず」とありましたが、歩むのは、誰でしょうか?自分自身なのです。だから、みことばを受け取った者が、そのみことばを歩む必要があるのだと思わされました。みことばを分かち合うこと、またみことばを守り行うことの両方、また双方が大切なのです。
私たちクリスチャンは、皆がアブラハムの子孫です(ガラテヤ3:7)。アブラハムが受けた祝福を共に受け継ぐ者です。今日受けたみことばを守り行うことに心砕きましょう。また、誰かにみことばの恵みを分かち合っていきましょう。
■A:考えてみよう
みことばを朗読し、受け取ったみことばをまず自分自身が実践していこう!
みことばから受け取った恵みを子どもたちに(霊的な子どもた)に分かち合っていこう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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