■S:今日の聖書の言葉
詩篇119篇138~140節
★あなたの仰せられるさとしは、なんと正しく、なんと真実なことでしょう。私の熱心は私を滅ぼし尽くしてしまいました。私の敵があなたのことばを忘れているからです。あなたのみことばは、よく練られていて、あなたのしもべは、それを愛しています。
■O:今日のコラム
私たちは何に熱心であるしょうか?この詩篇の筆者エズラは、自分の身を滅ぼすほどの熱心さを持っていました。今日の聖句を見ると分かりますが、それは御言葉に対する熱心さです。御言葉を蔑む敵の態度に耐えられないと語っています。
皆様も御言葉に熱心だからこそ、大晦日にこの記事を読んでおられるのだと思います。それは本当に尊い主のみわざです。そして御言葉を愛する熱心は、主の家を建て上げる熱心へと昇華されていきます。
マタイの福音書7章の山上の垂訓のまとめは「御言葉を聞いて行うなら、決して崩れることのない永遠の家が建て上げられる」ことが分かります。主とともに住まうその家に帰ることが私たちの本当の安息、存在の目的と言えると思います。ダビデはこれをただ一つの願いと言いました。このような聖句があります。
「そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。『それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』弟子たちは、『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い起こした。」(ヨハネ2:14~17)
ここでも熱心さが自分を食い尽くす、とありますがそれは家を思う熱心さなのです。そしてこの二つは、つながっているのです。ヨハネの福音書2章17節の出来事はよく宮きよめの出来事と言われますが、他の福音書では宮きよめのときにまとめとしてイエス様が言われる言葉は、家を思う熱心についてではなく、別の側面が語られています。その別の側面とは「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」なのです。
主の御言葉に聞き入り、主の御言葉を成し遂げることを別の側面から言えば祈りの家となるということなのです。
■A:考えてみよう
祈りの家となるために時間を聖別し、神と一対一で向かい合う時間を毎日持ちましょう。
御言葉を朗読し祈り、異言によって祈り、真理の御言葉、真理の御霊との交わりの時間、御父との交わりの時間を持ちましょう。交わりの中で人は変えられていくのです。
■P:祈り
主よ。私は御言葉に飢え渇き、主ご自身に飢え渇きます。神を知るための知恵と啓示の御霊を豊かに与えてくださいますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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