■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録14章1節

★また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。

■O:今日のコラム
今日の箇所には、シオンの山に小羊と共に立つ十四万四千人の人たちが出てきます。黙示録には、私たちが理解出来ない、解釈出来ないことも多くあります。ですから、これを単なる数字として捉えるのではなく、小羊と共に立っているこの人々は一体どのような者であるかを見たいと思います。そして、私たちもそのような者になりたいと願います。

まず、彼らの額には、小羊と小羊の父の名がしるされていました。名が付けられるということは、その名の人の所有を示します。ゆえに、彼らは小羊イエス様と父なる神の完全な所有とされた人々であることがわかります。彼らの特徴は、いくつか挙げられますが、私が今日心に留まった箇所には、このように書かれています。

「彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。」(黙示録14:4~5)

彼らは、「女によって汚されたことのない人々」でした。すなわち、彼らは、女が象徴する大バビロン、大淫婦、この世の汚れから自分の身をきよめ、守った者です。

汚れというのは、目に見えるものもあれば、目に見えないものもあります。また、気付かないうちに、服が汚れていた!なんてことがあるように、私たちは、自分が気付かないうちに、世のあらゆるもの、目から入るもの、耳から入るものによって汚れてしまうのです。ですから、私たちは毎日小羊の血潮によって、自分をきよめ、この世の汚れから身を守ることが必要です。

また、彼らは「小羊が行く所には、どこにでもついていく」とあります。小羊はイエス様です。彼らは、イエス様が行く所には、文字通り「どこにでも」ついていくのです。

イエス様が行く道は、決して楽な道ではありませんでした。苦難の道、最後は十字架で死にまでも従い通す道です。私たちはどうでしょうか。楽しい時だけ、喜びを感じる時だけ「イエス様!あなたについて行きます!」と言ってはいないでしょうか。私自身も、まだまだ自分に死ぬことが出来ていなかったことを認め、悔い改めます。

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:6~8)

私たちは、自分のあり方、主張や名誉、評価を捨てて、イエス様についていく者、イエス様のご性質にあずかる者となりたいと願います。それが苦難の中にあっても、のろわれたり、人から理解されないものであっても、その先にあるのは永遠の報い、喜び、この世で受ける名誉や賞賛以上のものであることを覚えたいと思います。

最後に、「彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者であった」ということです。私たちが、日常生活で犯してしまう多くの罪というのは、口、舌によるのではないでしょうか。不平不満、つぶやき、うそや噂話…。ヤコブ書には、私たちの舌はじっとしていない悪である、賛美とのろいが同じ口から出てくると書かれているように(ヤコブ3章8~10節参照)、私たち自身がこの口、舌を守ることは難しいことであります。しかし、聖霊様が私たちのこの口をとらえて下さること、治めて下さることを感謝します。

私の好きな賛美に、「私たちのこの口は汚れているけど、どうか主がこれをきよめて、賛美を授けてください」という賛美があります。私たちは、多くの時間、この口と舌を主に捧げていきましょう。

賛美すること、主に感謝すること、御霊により異言で祈ること、御言葉を告白すること、この口にイエス様の血潮を宣言して祈ることにより、私たちの口をきよめていきましょう。それによって、小羊と共に立つ十四万四千人の人々のように、私たちの口は偽りではなく、真実なものとされ、主を喜ばせる口となることを信じます。

■A:考えてみよう
この世のあらゆる汚れ(見るもの、聞くもの…)によって自分自身が汚れていないだろうか。毎日、小羊の血潮を信仰を持って告白して祈っているだろうか。

小羊イエス様についていく歩みが出来ているだろうか。イエス様より、自分が先に立つ歩みをしていないだろうか。私自身の口と舌を聖霊様に明け渡し続けているだろうか。

多くのチャレンジがあり、自分自身も失敗してしまうことや、まだまだ変えられる必要、きよめられる必要があります。 しかし、私たちは主が再び来られる日まで、主の御座の前に立つその日まで、傷のない者として、責められるところのない者として立つことが出来るように、継続して、諦めずに、自分自身をきよめ続けていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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