■S:今日の聖書の言葉
詩篇103篇17~21節

★しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たちよ。主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行い、主に仕える者たちよ。

■O:今日のコラム
主を恐れ、御前にへりくだる者に主の恵みは大きいのです。私たちは主を恐れる民です。主の恵みによって生かされている民です。主の義は恵みとして主を恐れる者に与えられています。そして神の義は、主の命令を守る者にまで及ぶのです。

何もしないで受け取った神の義はそれでゴールに到達したのではなく、その恵み、その愛に応えて、命令を守って神を愛する者となるときに全うされるのです。神の恵みは決して弱々しいものではなく、私たちを強め、成長させ、主の命令を守り行う者へと造り変えるのです。

神の恵みに満たされたパウロは、満ち足りて何もしない者になったのではなく、満ち足りて命がけの宣教を成し遂げて世界をつくり変えて行く者に変えられていきました。

主が私たちを御言葉を行う勇士に造り変えてくださるのです。そのために主は私たちに神の武具、光の武具を与えてくださいます。武具をつける理由は、私たちが邪悪な日に際しても御心を行い続けるためにです。御心を行うことは神の民にとっての勝利です。これは神を愛することなのです。私たちは武装しましょう!

今、世界の教会では再臨の警告の預言がいたるところで解き放たれています。警告の預言を聖書はラッパだと言っています。バプテスマのヨハネも「悔い改めなさい。神の国が近づいたから」と警告のラッパを吹いたのです。聖書は異言をシンバルにたとえ、警告の預言をラッパにたとえます。

「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。
笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。」(第一コリント14:1~9)

明確に警告の預言がなされるときに、人々は信仰の目を覚まされ、戦闘準備を始めるのです。そのためにパウロは熱心に預言を求めなさいと言っています。そして終わりの日には、息子も娘も預言をするのです。ラッパは、いよいよ頻回に吹き鳴らされるようになっていくのです。戦闘の準備とは、私たちが、自分の十字架を全うするためのキリストと同じ苦しみを共有する覚悟を決めることです。

「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」(第一ペテロ4:1~2)

黙示録では巻き物の封印が解かれ、ラッパが吹き鳴らされます。この地でも御言葉の封印が解かれ知恵と啓示が解き放たれ、そしてその警告の預言のラッパが吹き鳴らされるのです。

黙示録11章では、二人の証人が現れます。彼らは、モーセやエリヤのような預言者です。彼らはこの地で吹き鳴らされる終わりのラッパなのです。地上でラッパが吹かれ、また天でもラッパが吹かれるのです。民数記にあるように主の民は、このラッパの音によって集められるのです。

「ついで主はモーセに告げて仰せられた。『銀のラッパを二本作らせよ。それを打ち物作りとし、あなたはそれで会衆を召集し、また宿営を出発させなければならない。この二つが長く吹き鳴らされると、全会衆が会見の天幕の入口の、あなたのところに集まる。』」(民数記10:1~3)

二人の証人は、二本の銀のラッパです。これはまだ鳴っていないと思います。しかし、どのラッパでも聞いたなら私たちは、主の前に行く準備をしなくてはなりません。

イスラエルでも、七週の祭り(ペンテコステ)の後、長い期間宮に集まらない期間が続きます。しかしラッパの音が静かなシーズンに終わりを告げます。ラッパの音を聞くならエルサレムに上る祭りの時、仮庵の祭り(再臨)が近いことを覚えてエルサレムに集まるのです。

■A:考えてみよう
今がラッパが吹き鳴らされているシーズン、荒野で叫ぶ者の声が響き渡っている、主の来られる備えをすべきシーズンであることをお認めになられるでしょうか?神の民は、明確なラッパの音を聞くなら戦闘の準備をするのだ、と第一コリント14章は語っています。

キリストが十字架にのぞんだと同じ心構えで、祈りの中で武装をするシーズン、私たちがゲツセマネの祈りをするのは今なのです。主は「いつまで眠っているのですか?」と私たちを起こそうとしておられます。

■P:祈り
主よ自分を捨て、自分の十字架を負って、あなたについていきます。私たちの求めているのはあなたです。御心を行うための武装をお与えください。真理を身につけ、どのような状況でも御心を行い、互いに愛し合うことができるようになることを感謝します。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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