■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第一 13章13節 (エゼキエル書31章)
★ こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
■O:今日のコラム
皆さんは、サンドイッチは好きですか?
サンドイッチで重要なのは具です。
この具がなければ、ただの二枚のパンを重ねただけになってしまいますよね。
今日は御霊の賜物にサンドイッチされた部分について見て行きたいと思います。
ここでは、少し視野を広げてみて、まずはコリント人への手紙 第一13章の前後を見てみたいと思います。
12章は昨日読んだ通り、聖霊様の賜物について書かれています。明日読む14章は賜物を教会でどのように用いるかが書かれています。そして、その二つに挟まれた13章は、ひたすら愛に関することが書かれています。なぜ、パウロはこのような構成にしたのでしょうか。
それは、ユダヤでは、キアムスと言って、大切なものを中心に持ってくるという文化があります。
慎悟先生も以前、メッセージの中で詩編23篇の中心は「あなたがわたしと共におられますから」で、その前後で対照的な事が書かれていると言われていました。
また、メノラー(燭台)の中心もイエス様ご自身であることが書かれています。(ヨハネの黙示録1章13節)
この法則を適用するなら、御霊の賜物を考えるときに、中心に書かれてある愛の重要さがわかります。
また、別の箇所には、このようにも書かれています。
「神の賜物と召命とは変わることがありません。」 (ローマ人への手紙11章29節)
私たちは、神様から変わることない賜物をいただいています。その賜物は愛を抜きにしても使うこともできるでしょう。
ある世界的な器がいましたが、彼を通して、多くの人が癒され、奇跡が起こりました。しかし、彼はごく親しい人に「私の目の前でどんな御業が起こっても私は虚しい」とこぼしたそうです。彼は神様との愛の関係が持てていなかったのかもしれません。それでも、賜物を用いることはできるのです。
私たちに関しても同じです。愛がなくても賜物を用いることはできるでしょう。しかし、それは何の値打ちもないことだと書かれています。(2節) 愛とは神そのものです。
「愛の無いものに、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」 (ヨハネの手紙 第一4章8節)
私たちに与えられている賜物は何のために用いるのでしょうか。自分の働きのすごさを世に示すためでしょうか。
否。それは神の御身体である教会を建て上げるためです。
私たちが主を礼拝しに集まるのであれば、心を開いて神様の愛が私たちを通して流れ出るようにする必要があります。
私たちは互いに愛を表現し合うことができます。人は誰でも愛を欲しています。だから、私たちが神様から受けた愛を表現していくことを躊躇 (ちゅうちょ) してはいけません。
愛を表現する時、恥ずかしかったり、恐れがあるかもしれません。しかし、主の命令に従い、愛を実行に移す決断をして一歩を踏み出そうとする時、聖霊様が力強く働かれ、あなたを助けて下さいます。
愛を表すことは、どのような御霊の賜物を用いることよりも力強いものです。このようにしてお互いに愛を表現し続けるならば、神の御身体である教会が力強く建て上げられて行きます。
どんなに小さく思えようとも、愛が現される時、主の臨在の中で癒し、奇跡、御国が解き放たれていきます。愛の源である神様ご自身が働かれます。勇気を持って、愛を積極的に表現する者に変えられて行きましょう!
■A:考えてみよう
自分が表現できる愛とは何でしょうか。思いつく限りあげてみてください。
その中で、すぐに行動に移すことができることを見つけ出して、今実行してください。後でもできるかもしれませんが、私の経験上、「後で」はやらないに等しいことです。
今頭に浮かんだことを実行するのは難しいですか? 恥ずかしいですか? それでも、祈って主と共に一歩を踏み出して下さい。
不可能を可能にするのが主の油注ぎです。あなたならできます! できるから主がその事を今、あなたの心に置いてくださったのです。共に愛を表現する者に作り変えられて行きましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。