■S:今日の聖書の言葉
ペテロの手紙第一5章6~7節
★ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
■O:今日のコラム
周りの人々が成功し、順調に進んでいるのに、自分は後退し、進んでいないように感じた経験はないでしょうか。なぜ?どうして?と思えるような状況を経験したことはないでしょうか。私はあります。葛藤し、涙を流し、主の前で決心したことさえも、手放しそうになったことがあります。(私のメンターとなって下さった方は、そのことをよく知っています。)しかし、そのような時に今日の御言葉の箇所が示されました。
「神の力強い御手の下にへりくだりなさい。」
聖書が言う「へりくだり」とは何でしょうか。相手に譲ったり、相手より自分を下げることをへりくだりだと思っているかもしれません。しかし、本当のへりくだりは、自分に死なないと出来ないことです。砕かれないと出来ないことです。自分に死ぬことを通して生まれる本当の従順です。真のへりくだりの姿、模範は、ただ一人、イエス様にあることを覚えます。
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」(ピリピ2:3~9)
私たちはキリストの似姿へと造り変えられたいと願います。キリストのご性質にあずかる者となりたいと願います。しかし、私たちのうちには、まだまだ自己中心や虚栄、人より自分の方がすぐれていると思う性質があるのではないでしょうか。なぜ?どうして?という訴え、自分の主張が先にきて、心から従うことが出来ないのではないでしょうか。
ですから、そのような性質があることを認め、自分の力では変われないからこそ、私は悔い改め、主の前にひれ伏します。ひれ伏すことを通して、主の主権をからだをもって認め、主の主権に自分自身を従わせます。そして「私の願いではなく、あなたの御心がなりますように。」「今日もあなたが必要です。」と、祈り求めるのです。
主は心砕かれて、へりくだった人とともに住むとあります(イザヤ57:15参照) 。主が目を留めるのは、へりくだって心砕かれ、主のことばにおののく者です(イザヤ66:2参照)。私たちはこのような者になりたいと願います。
そして、もう一つ、私たちが覚えることは、今日の箇所にあるように「ちょうど良い時」があるということです。ここの「時」は、原語では「カイロス」すなわち「主が定められた時」です。
主が定められる時は、だいたい、このくらいになったら…というような「about」なものではなく、「just」であることを私たちは知る必要があります。それは、私たちが思う時、願う時とは違ったり、遅れているように感じるかもしれません。しかし、時は主の御手の中に、主権の中にあるのです。私たちは、主を自分の時に合わせようとするのではなく、私たち自身を主の時に合わせていく必要があります。
先に書いたように、私は、葛藤や苦しいと思える状況を通して、この御言葉を受け取りました。今思うと、主の訓練であったこと、私自身が主の御言葉と一つとされていくための必要なプロセスであったと思います。そして、主は真実なお方。主の時は、私が思う時よりはるかに最善であると、今は心から思うのです。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書3:11)
主がなされることには、分からないようなことがあるかもしれません。しかし、私たちの思いの中に、計画の中に、主を入れようとするのではなく(それは出来ないことであり、自分勝手です)、主ご自身の力強い御手の中に自分自身が入ること、分からない時も、従うことを選び取っていきましょう。
主の力強い御手の下にへりくだること、主の主権を認めることは、御言葉を朗読し、ひれ伏す中で、私たちの願いも、思い煩いも、葛藤も、すべてを明け渡して祈ることからです。今日の箇所にあるように、「いっさいを」神にゆだねて、自分自身を主ご自身に明け渡していきましょう。
■A:考えてみよう
私は主の力強い御手の下にへりくだることが出来ているだろうか。自分の主張ではなく、主の主権を認めているだろうか。主の時に信頼しているだろうか。どんな状況の中にあっても、「私の願いではなく、主の御心がなりますように」と、イエス様が祈られ、天のお父さんのご計画にどこまでも従順であったように、私たちもそうなりたいと願います。
今一度、御言葉を朗読し、主の御前にひれ伏し、すべてを明け渡して祈る時を持ちましょう。
「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。彼は私の足を雌鹿のようにし、私を高い所に立たせてくださる。戦いのために私の手を鍛え、私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。」(詩篇18:30~34)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ささまな 】
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