■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙 5章7節

★あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。

■O:今日のコラム
この御言葉にあるようなことを、私たちは経験したことはないでしょうか?
私はあります。熱心に主を求めていたのに気づくと熱心さは消え、飢え渇きも無くなり、無感覚になってしまったことがあります。
この御言葉に「真理に従わなくさせ」とあります。その原因は何なのでしょうか?

「わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。」(ガラテヤ5:9-10)

その原因は「わずかなのパン種」です。また、「主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。」とありますが、言いかえるなら、主の御心と少しでも違った考えを持ってはいけない。ということです。みことばの基準と少しでも違った考えは、どんなに小さくてもパン種であることは変わりありません。

主に熱心に従っていたはずなのに、それを従わなくさせるのは、大きなきっかけももちろんあるかもしれません。ですが、わずかのパン種で十分従えないようにさせてしまうのです。

私たちの内に、このわずかのパン種を見つけることは出来るでしょうか?
もしかしたら、入っていることさえ気がつかないこともあるかもしれません。
また、それぞれパン種になりうるものも人によって違うと思います。
自分の経験や自分の義、この世の常識や日本の考え、人からの教え、ヒューマニズムなど。私たちの周りには本当に多くのパン種が存在します。
私の内には自分の経験や常識に立ち、物事を判断したり人を裁く性質があります。そして、「自分は正しいが相手が間違っている!」と罪に定めてしまうこともあります。ですが、これらは御言葉に反した考えであり行いです。
御言葉からきた考えや基準では無いからです。
これをみことばの基準に合わせることなく、見てみないふりをしてそのまま放置してしまったなら、私は真理に従わず、広い道を行く者となってしまいます。その終わりは永遠の滅びです。

だからこそ、私たちは日々の考え方、物事や人の見方、行動のパターンは、どこから来ているのか自分自身を探る必要があります。
御言葉の基準と少しでも違った考えを持たないために、毎日御言葉を読み、御言葉の基準に悔い改めて立ち返っていきましょう!
それでこそ、真理に従い続けることができるのです。

■A:考えてみよう
・人のパン種ばかり見ていないでしょうか?悔い改めるべきは、いつも自分であり、まず取り除かなければいけないのは、まず自分の中にあるパン種です。

・自分が正しいという基準や見方はどこから来ているのだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 おりえ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー