■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第二 8章1〜5節(イザヤ書32章)
★1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
2 苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。
3 私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、
4 聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。
5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。
■O:今日のコラム
皆さんは献金に関してどのようなイメージを持っているでしょうか。今日と明日の通読箇所は、献金に関して具体的に書かれてある箇所です。今日の8章では、マケドニアの諸教会の捧げる心を見ることができます。
私たちは捧げ物をするとき、しばしばチャレンジがやってくることがあります。「ああ、この金額があれば、明日のお昼ご飯はおいしいものが食べられる」などと考えてしまうことはないでしょうか?(私だけですか??(笑))
そのような小さな考えしかない私に今日のみことばは突き刺さりました。
マケドニアの教会の聖徒たちはどのような状態であったかというと、激しい迫害の中にありました。2節にその様子が書かれています。
苦しみのゆえの激しい試練に合うとき、私たちはどのような反応をするでしょうか。多くの人は自分の財産を守り、自分のいのちを守るためにあらゆるものを確保することに集中すると思います。
ところが、マケドニアの諸教会の人々は全く逆の事をしました。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや、力以上に捧げました。普通では考えられないことです。
なぜ彼らは苦しい状況の中にありながら、なお力以上に捧げることができたのでしょうか。
それは、彼らに正しい恵みの理解があったからです。
マケドニアの教会の人々は何かを受けることが恵みではなく、むしろ捧げることが恵みであるという理解がありました。
それ故に、4節にこのように書かれています。
「聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。」
聖徒たちを支える交わりの恵み、なんという美しい言葉でしょうか。詳しい訳で見ると
「エルサレムにいる聖徒たちを助け、支えるこの奉仕に寄付を持って参与する恵み」
と書かれています。
私たちは「恵み」というと、何かをいただくことだと考えていないでしょうか。しかし、本当の恵みは私たちに与えられているものを捧げることにあるのです。
イエス様はご自身を貧しくし、私たちに最も大切なものを与えてくださいました。それは罪なき歩みをされたイエス様のいのちです。血潮です。それであれば、イエスさまに従う私たちも神の愛を受け、友のためにいのちを捨てる必要があります。
与える恵みを喜びとする成熟したキリストのしもべとなっていきましょう。
「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(使徒20:35)
■A:考えてみよう
私は何を誰に捧げることができるだろうか?捧げることができるのは経済だけではありません。ある人にとっては捧げることは、誰かと時間を過ごすことかもしれません。笑顔で挨拶することかもしれません。
捧げることが恵みであるという喜びに達するには、まず自分自身がいつも神の愛で満たされ、平安でなければ与えることはできません。マケドニアの聖徒たちは、極度の困難の中にあっても捧げることができました。彼らは本当の福音を理解し、体験していたからです。目の前の困難は彼らになんの影響も与えることができませんでした。
使徒の時代には一切のものを共有にし、貧しいものは一人もいませんでした。これがキリストの御身体の本来の形です。しかし、今は多くのものが貧しくなっています。その原因は何でしょうか?
イエスさまを信じていながら「自分、自分」という自分中心の誤った恵みの理解があるからです。イスラエルの地理を見ても、流しだし続けるガリラヤ湖はいのちに満ち溢れ、受けるだけで注ぎだすことのない死海は文字通りいのちのない死んだ海になっています。
捧げることの喜びを体験しましょう。今日、あなたは誰に何を分け与えることができますか?それを実行し続けることが神様の御心を行うことです。
■P:祈り
愛する天のお父さん、あなたが今日も私を生かしてくださっていることを心から感謝します。現実を見ると、たしかに厳しく、困難に思えますが、それでも今日、私は生かされています。この目的を悟ることができるよう、私の霊の目を開き、悟りを与えてください。
私が今日、分け与えることができるものが何かを教えてください。それを誰に分け与えるかを具体的に示してください。それがたとえ苦手な人であったとしても、それが神様の願いなら喜んで従うことができるように助けてください。最も小さなものにしたのはイエス様、あなたにしたことですから。
そして、失うことの恐ろしさではなく、捧げることの喜びを教えてください。マケドニアの聖徒のように、私たちが聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかることができるように導いてください。
与えるものをも備えてくださる愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【しゅん】
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