■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙10章10~11節

★人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

■O:今日のコラム
私は礼拝を導く役割が度々任されます。基本的にはメッセンジャーですが、時にはワーシップリードもします。初めは礼拝を導くときに、ここでこうして、その後にこうしてと、頭の中で組み立てて前に出ていました。その中で、主が私にはっきり示されとことがあります。それは「もっと私に信頼しなさい」ということです。その声に応えて、ただ主を見上げ全てを委ね始めると、主の臨在が私に臨み、心をつかまれ、嗚咽するほど泣いたことを覚えています。

礼拝の中で主の臨在を味わうことと、信頼し委ねることは密接な関係があります。なぜなら主に信頼して(原語では「信頼」と「信じる」は同じ語です)従順になることが礼拝だからです。

だから職場も学校でも家庭でも、私たちは、主に信頼して、従順になるときに礼拝を捧げているのです。そして礼拝を捧げる場所に、主はおられます。主は賛美という礼拝の中に臨在され、二人三人が心を一つにして祈るという礼拝の真ん中に臨在されます。

そして、このローマ10章10節にあるように信頼して告白する者の心に、主は来てくださるのです。主がおられるところには、救いが起こり、回復、癒しが起こります。このことが私たちに起こり続けていることを感謝します。ハレルヤ!

そして、私たちが家庭において、職場において、学校において、主に信頼して従順に従うのであれば、そこに主はおられ、家庭が回復し、職場が癒され、学校がリバイバルしていくのです。

私たちの救いは、自分だけのためではありません。それであるなら、信じて告白したら、すぐにこの地上から天に引き上げられたら良いはずです。私たちにはこの地上ですべきことがあるのです。

私たちの救いは、私たちに任されている領域の解放、癒し、救い、回復のためであり、究極には主のためなのです。

■A:考えてみよう
自分に任されている領域の回復を求めるでしょうか?
ならばその領域のための祈りの祭壇を築き、その領域で主に信頼して従順になり、礼拝を捧げましょう。主のおられるところには回復、解放、救いがあります。

■P:祈り
主よ。私に任されていることがあることを感謝します。私に信頼し、期待してくださっていることを感謝します。私の全てをあなたに委ねます。あなたに信頼して従順に従います。心配や思い煩いをせず、それを委ねて従順になることを学ばせてください。「心配するな」と言われる主に心配を委ね、思い煩いを委ねます。あなたに従います。あなたが私の、家庭の、職場の、学校の、この国の救い主です。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

カテゴリー: マナメール

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