■S:今日の聖書の言葉
詩篇40篇6~8節

★あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお 喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」

■O:今日のコラム
主がいけにえを喜ばない?では何を喜ばれるのでしょう?それは、私たちが御心を行うこと、すなわち聞き従うことです。
 
主は形だけの礼拝では満足されません。本当に欲しいのは動物ではなく、私たち自身なのです。どうやって私たち自身を捧げるのでしょう?それは聞き従うことによって捧げるのです。御心を行うことによって、自分自身を神に受け入れられる、きよい生きた供え物とすることができるのです。

「するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(1サムエル15:22)

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

詩篇40篇7節には、「巻物の書に私のことが書いてあります」とあります。御心を行うということを願うのであれば、聖書を読み、そこに自分のことが書いてあるのを見出ださせていただかなくてはなりません。知恵と啓示の御霊により、私たちは、自分について書かれている聖句を示されるのです。まるで衝撃が走るかのように、驚きをともなってそれは与えられていきます。神の御口から出た御言葉は、私たちの口に甘いのです。聖書は御口から出た言葉によって私たちが養われると語っています。
 
そして詩篇40篇7節を見るなら、聖書は私たちの計画書であることが分かります。一人ひとりに語られる言葉はタイミングや順序、箇所などそれぞれに違うでしょう。一人ひとりの召しが違うからです。

召しとは神の御口から一人ひとりに語られた言葉を行うことなのです。英語では召しをcallingといいますがそれは、主が私たちをその御口によって呼ばれることそのものなのです。自分の召しを知りましょう。
 
そしてこの甘い御言葉、美味しい食べ物は、腹に下っていくのです。意味が分からない、感動のない言葉は腹の奥に下っていかないのです。気を付けなければならないのは、自分が美味しいと思うなら、悪い言葉も腹に下っていくことです。

「陰口をたたく者のことばはおいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく。」(箴言18:8)

そして腹にあるものが口から出てくるのです。何を聞いて生活するのかは、霊的な生活に重要なことです。特に霊的な幼子には、悪い言葉を聞かせないことは大切です。成熟してくるなら、その言葉を見分けて飲み込まない霊的な大人になっていきます。
 
そして御霊の力を帯びた御言葉が内にあるからこそ、私たちはそれを行なうことが喜びなのだ、と40篇8節は教えてくれます。

■A:考えてみよう
御言葉を朗読し、語られた御言葉を自分の召しと悟りましょう。そのジャーナルを書き留めることをお勧めします。それを翌日、電車の中などで口ずさみ、思い巡らすのです。

御言葉は何度も反芻して消化され、腹の奥に下っていくのです。そして喜びをもって辱めを物ともせずに、それを行いましょう!

■P:祈り
主よ。お語り下さい。しもべは聞いております。私に、また教会に知恵と啓示の御霊を注ぎ、日ごとの糧をお与えください。悪い言葉から私たちを守ってください。あなたの御心がなされますように。そのために私の今日を、また教会を使ってください。御名があがめられますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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