■S:今日の聖書の言葉
詩篇26篇2節
★主よ。私を調べ、私を試みてください。 私の思いと私の心をためしてください。
■O:今日のコラム
主の祈りの中で、主は「私たちを試みに会わせないでください」と祈るように教えています。しかし、ここでは私を試みてください、とあるのです。どういうことでしょう。
試みという語には、テスト、試練、 誘惑という意味の語が使われています。私たちが習慣的に犯してしまう罪は、悔い改めて捨てるべきですが、そのような領域を誰しもが気づかずに抱えています。そのような領域は、主の憐れみによって守っていただくのが良いのです。
しかし、悔い改めた領域において私たちは、テストを受けなければなりません。主は、試験済みの者を求めておられます。悔い改めたら合格、とはならないのです。実際に以前と違うことが生活の中で明らかにされなければならないのです。
だから悔い改めて砕かれた心を持つならば、そのまま砕かれた心で「私を試してください。私のすべてをあなたにお委ねしています」という心構えで生活することは良いのです。試験をパスするならその領域は、完全に神に勝ち取られていきます。
「このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。」(第1ペテロ4:1~2)
私たちは、誘惑からは逃げるべきです。罪を犯す危険に自ら入っていくでべきではありません。しかし主に従うことを選ぶなら、逃げられない試練というものもあるのです。
私たちの快適さという基準ではなく、主に対しての忠実さという基準で生活するべきです。その中で順風なことは感謝です。そして逆風なことも感謝なのです。テストがあるから合格があるのです。
その試験は無差別に与えられるのではありません。心構えができている人、砕かれた心を持っている人への恵みなのです。
神は愛する子を叱ったり、懲らしめたりなさいます。つまりその試みは、愛されている証であり、新しくキリストを知る恵みに預かることなのです。
■A:考えてみよう
悔い改めのライフスタイルを持ちましょう。そして「主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」と祈りましょう。
■P:祈り
主よ。ますます肉に死に、ますます私が神に生きることができるようにさせてください。悔い改めの霊を注いでください。そして主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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