■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記12章12節~14節

★その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。

■O:今日のコラム
今日(厳密に言えば昨日、30日金曜日の夕方)は過越の祭りです。この過越の祭りは七週の祭り、仮庵の祭りとあわせてイスラエルでの三大祭のうちの一つです。

過越の祭りは人が勝手に祝う祭りではなく、主が「守り、祝いなさい」と命令された主の例祭です。神が命じられたことに対して従うものには祝福があります。ですから、私たちも過越の祭りを祝いたいと思います。

しかし、実際にそのまま過越の祭りを祝うことは難しい事です。ですから、私たちは十字架を通して、過越の祭りの本質を祝うことが良いでしょう。

過越しの祭りの起源は今日のみことばにあるように、イスラエルの民がモーセとアロンに導かれ、出エジプトをする時に起因します。彼らがエジプトで奴隷として苦しみを受け、苦役の故に神に叫び、荒野で祭り(礼拝)を捧げたいという動機でエジプトを出ようとします。しかし、パロの頑なさに悩まされ、なかなか出エジプトできません。

そこで神は10の災いをエジプトに送ります。しかし、エジプトの地に住んでいたイスラエルの民は害を受けませんでした。私たちもサタンが支配するこの地においても神の守りの故に害を受けないことを感謝します。

その10番目の災いが全ての初子を殺すということでした。しかし、神はここにも救済の計画を立てておられました。ニサンの月の十四日の夕方、一斉に各家庭で小羊をほふり、その血をヒソプを使って門柱とかもいに塗れば、死の霊は過越していくというものでした。

血はいのちです(申命記12:23)。ですから、死の霊は家の前に血が塗られていると、それでその家の者はすでに死んだとみなし、家の前を過ぎ越すのです。申命記19章21節には、「いのちにはいのち」と書かれています。いのちを買い取るにはいのちという代価が必要なのでした。

モーセとアロンがイスラエルの民に、決まった時間に一斉に小羊をほふり、その血を門柱とかもい塗れという指示に従った者だけが死の霊から免れました。ここで必要なのは従順さです。理解できてもできなくても、権威あるものの命令に従った時、いのちが守られます。

また、この過越しの祭りはイエス・キリストが肉体を持って地上に来てくださったことを啓示している祭りでもあります。言わずもがな、この出エジプトの時に流された小羊の血はイエス・キリストの十字架での血を啓示しています。

バプテスマのヨハネはイエス様をご覧になり「見よ、 神の小羊」(ヨハネ1:36)と言いました。また、ペテロの手紙第一1章18~19節には、次のように書かれています。

「ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」

私たちも生まれながらにして神の御怒りを受ける身分でした。罪を持ったアダムから生まれたアダムの子だからです。しかし、神の一方的な哀れみにより、私たちを永遠の滅びから永遠のいのちへと移してくださいました。これは神の豊かな恵みによることです。

「この方にあって私たちは、 その血による贖い、 罪の赦しを受けています。 これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1:7)

もし私たちが心でイエス様を救い主として信じ、口で告白するなら私たちは救われます(ローマ10:9~10)。イエス様を信じる者は、すでにまことの子羊の血、すなわちいのちでわたしたちのいのちを買い取ってくださったのです!

もし、お店で何かを買う時に、一度お金を支払えばその者の所有は私たちに移ります。お金という代価を支払ったからです。一度買った商品に対してもう一度お金を支払う必要はありません。これが贖いです。

イエス様はいのちという代価をもって私たちのいのちを罪の奴隷から神の所有へと買い取ってくださったのです。この全人類の偉大な贖いのためには罪のない純粋な血(いのち)が必要でした。

この地上で一度も罪を犯さず歩まれたのはイエス様しかおられません。この尊い血によって私たちの罪の負債は支払われ、私たちは神の子どもとされたのです!なんと驚くべきことでしょうか!このイエス様の贖いは何度も必要なものではなく、ただ一度で十分なものでした。

出エジプトの時、子羊の血を門柱とかもいに塗った時、死の霊が過ぎ去り、翌朝イスラエルの民は礼拝をするために荒野に旅立ったように、私たちも贖われたという事実を理解して前に進むべきです。神の贖いは完了しました。

「また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブル9:12)

過越しの今日という日に、偉大な贖いの御業を成し遂げてくださったイエス様の血潮をほめたたえましょう!

■A:考えてみよう
・過越の祭りは出エジプトの何番目の災いでしたか?その後に災いは続きましたか?
・過越の祭りは何を啓示する祭りですか?
・贖いとはどういうことですか?

今日、イエス様の血潮を宣言しましょう。全ての病、えやみ、災いはイエス様の血潮のゆえに私たちの前を過越します!そのためには私たちの応答も必要です。

もし、出エジプトの時、モーセとアロンから「子羊の血を門柱とかもいに塗れ!」という命令が出されても、それに応じなかったら贖いは完了しませんでした。同じように、私たちも贖いの事実を知ったのであれば、それに応える必要があります。

今日、信仰をもってイエス様の血潮の力を宣言しましょう!
「イエス様の血潮は、サタンの全ての支配から私を贖いました!」

■P:祈り
愛する天のお父さん、あなたの偉大なる人類への救済の計画を感謝します。人は罪を犯し、永遠の裁きへと向かうしか道がありませんでした。神との永遠の断絶という道しかありませんでした。しかし、哀れみ豊かな神はこの小さな私にも救いの御手を差し伸ばしてくださり、私を罪の泥沼の中から救い出してくださいました。
神のひとり子、イエス・キリストをこの地上に送ってくださり、罪なきまことの小羊に人類の全ての罪を背負わせ、十字架に打ち付け、父なる神との断絶を実行され、神の怒りの火を下され、大切なひとり子を死に追いやられたことを思う時、胸が痛いです。
なぜそれほどまでにしなければならなかったか。それは失われたたましいを父のもとに引き戻すためであったことを感謝します。それほどまでにして私のたましいに救いをもたらせてくださった父の愛を感謝します。
今日、イエス様の流された血潮をほめたたえ、賛美し感謝する事を教えてください。あなたの贖いの御業に心を向け、深く黙想することができるように助けてください。
今日、十字架の後の安息日なので、イエス様が十字架の死のあと、墓に葬られたときでもあります。ですから今日、私たちが徹底的にみことばによって自分に死ぬことが出来るように助けて下さい。
聖霊様の助けが無ければこの事はなし得ることはできません。そして、明日、週の初め(日曜日)の朝早く、力強く復活されたイエス様とともに私もよみがえり、新しい歩みをすることが出来るように導き、助けて下さい。

まことの小羊なる私たちの愛する主、イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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