■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書25章20~21節

★すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

■O:今日のコラム
主は、私たちが主から任された物に忠実であることを喜ばれる方です。主は、ここでもそのしもべの忠実さを褒め、喜ばれました。

5タラントでも大金ですが(3億円くらいとも言われます)、それを主はわずかな物と言われました。主にとっては、100億円であってもわずかのものでしょう。それならば、主にとってたくさんの物とは一体どれだけの物なのでしょう。それは世の物ではないことを信じます。

主はこの地上で任せてくださったわずかなことに忠実であるなら、たくさんの物(まことの富であるイエス・キリストの心、ご性質)を私たちに、また教会に、ますますお与えになられることを信じます。

私たちがこの地上で自分たちに与えられた御言葉に忠実であるなら、主は私たちのところに来られ共に住まわれます(ヨハネ14:23参照)。主と私たちがともに住まう。これこそ主の悲願であり、私たちの願うただ一つのことです。

忠実さとは、実は信仰の大切な要素です。信仰という意味の語(ギリシャ語でピステス,ヘブル語でエメス)には信じる、信頼する、忠実、誠実という意味があります。この全てが伴っていてこそ、生きた信仰と言えるのではないでしょうか?心に信じていても行動には一切表さないとしたら、それは死んだ信仰であるとヤコブの手紙にあります。

私たちはどうしたら、実り豊かな歩みをすることができるだろうか?と考え込んでしまうことがあります。しかし、実り豊かな祝福された歩みは、神を信じ、神に信頼し、神に忠実で誠実である歩みなのではないでしょうか。それこそ信仰によって生きるということであると思います。

■A:考えてみよう
生きた信仰によって生きる者となりたいです。主の命令に信頼を置き、一歩踏み出す行動をしましょう。
そうするならば、次の一歩が踏み出せ、結果的に自分では考えられなかったような、偉大な神のみわざを体験するようになることを信じます。

■P:祈り
あなたの仰せを尊びます。あなたの御言葉を愛します。どうぞ私に聞き従うことを学ばせてください。私のために備えられた小道を歩むことができるようにさせてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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