■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書8章10節
★イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
■O:今日のコラム
聖書の中で主イエスが驚かれるものがあります。それは「信仰」です。郷里においては、その地の人々が「この人は大工の息子ではないか。」と、主イエスに対してつまずきます。聖書には、
「イエスは彼らの不信仰に驚かれた。」(マルコ6:6a)
と記されており、主イエスは人々の不信仰に対して驚きを示しておられます。その結果、主イエスはその地では何一つ力あるわざを行うことができませんでした(マルコ6:5参照)。「行われなかった」ではなく「行うことができなかった」と記されていることに注目する必要があります。
信仰は主の力がこの地に解き放たれる為の媒体となります。ガスが充満した部屋に火を灯すと巨大な爆発が起こるように、信仰が満ちた場所に聖霊の火が灯される時、リバイバルの爆発が起こるのです。
今日の箇所において主イエスは百人隊長の信仰に驚かれ賞賛の言葉を述べました。信仰は主の心を喜ばせ、主の心を動かします。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
信仰はギリシャ語で「ピスティス」と言いますが、これを別の言葉で訳すなら「忠実、真実」という意味になります。信仰とは自分の力や努力や決意によって生み出せるものではなく、主の御言葉を聞き、その言葉に忠実に従う時に生まれます。
百人隊長は主イエスの権威を認め、そのおことば一つでしもべは癒やされる。という主のことばに対する忠実さを持ちました。その結果、御言葉にともなうしるしを経験することとなったのです。
私たちが付き従う花婿なるイエス様は黙示録19章に幾つかの呼び名が記されており、その名は「忠実(ピスティス)真実」また「神のことば」です。私たちはキリストの花嫁として、花婿の持つ忠実さと真実さを自分の性質として身にまとい、また神のことばを愛して生きていくことが大切です。
「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)
■A:考えてみよう
主に対する忠実な信仰をもって一日一日を生きるために、今日も御言葉を朗読し、主のことばを聞きましょう。そしてそれを守り行うことが出来るように祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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