■S:今日の聖書の言葉
創世記48章14節

★すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。

■O:今日のコラム
右手は権威を表す手です。祝福するときには右手を置きます。イスラエルは手を交差してエフライムとマナセを祝福しました。

本来長子であるマナセの上に右手が置かれるはずでしたが、エフライムの上に右手が置かれました。なぜイスラエルはこのような行動を取ったのでしょうか?ヘブル11章にこのようにあります。

「信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。」(ヘブル11:21)

イスラエルは信仰によって手を交差して祝福したことがわかります。自分勝手に手を交差したわけではありません。神様の導きに従ってあえて手を交差したのです。

おそらくイスラエルの心の中に神様が語りかけたのでしょう。臨終の間際という重要な場面で神様の御声に聞き従い行動したのです。この信仰の行動が神様によって称賛されています。

さらにイスラエルは19節でこのように預言しています。

「しかし、父は拒んで言った。『わかっている。わが子よ。私にはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう。』」(創世記48:19)

臨終の間際に信仰によってこの預言を大胆に宣言しています。この預言の通りにエフライムは北イスラエルを代表する部族になりました。エフライムは北イスラエルを指す言葉として使われています。イスラエルの信仰の宣言が現実のものとなったのです。

以上のことから私たちの信仰の宣言には力があることがわかります。宣言の通りに霊的状況に変化が起こり、現実の世界にも変化が起きるのです。

イエスキリストによって長子とされた私たちには人々を祝福する特権が与えられています。信仰によって私たちの右手を置き、人々の為に祝福を祈りましょう。神の御言葉の約束を握り大胆に宣言していきましょう。私たちの宣言通りに状況は必ず変わっていきます。

今日も1日、皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。

■A:考えてみよう
日々の生活の中で周りの人々に祝福を祈る機会はあるでしょうか?
周りの人々を見渡し、祈りが必要な人が示されたら勇気を持って祝福を祈ってみましょう。

■P:祈り

愛する、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

カテゴリー: マナメール

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