■S:今日の聖書の言葉
創世記31章24節
★しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」
創世記32章27~28節
★その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」
■O:今日のコラム
しゃろーむ!1月16日の朝です。今日1日も、主の御国とその義とを第一に求めていきましょう。主が僕らの名前を贖ってくださったからです。僕らは、主の王子として神様の御国を解き放つ者となったからです。
ヤコブさんは二十年間、ラバンさんの元で仕えました。その年月の中で良かったこともあり、また辛く苦しいこともありました。そして、主のタイミングで、主が下記のように仰せられました。
「主はヤコブに仰せられた。『あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。』」(創世記31:3)
そして、何も言わず出て行ったヤコブさんを追ってきたラバンさんに、主は「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」と語られました。
今、世界では「事の善悪」を論じ合っています。世界だけではなく、身近な場所でも論じ合っています。しかし、大切なことは、主が唯一の「義」であるということです。そして、主が僕らのことをどの様に見ているのかということです。
ヤコブさんは、「ある人」と書かれている「主」から自分の名前を聞かれた時にはっきりと答えました。当然の事なのですが、ヤコブさんにとっては辛い事でした。
名前はその人の存在を意味します。「ヤコブ」とは、「人を出し抜き、人を押しのける存在」という意味があるからです。自分のすべての弱さや醜い部分を認めることなのです。苦しい選択でしたが、ヤコブさんは、主からの祝福を受け取るために、はっきりと自分の名前を答えました。
なぜならば、主が、ヤコブさんの「もものつがい」を打たれたからです。
「ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。」(創世記32:25)
ヤコブさんの自我はとても強いものでした。主は、その自我を打ちました。もものつがいは、自分の力の象徴です。自我を打たれたヤコブさんには、主にすがることしかできませんでした。
「するとその人は言った。『わたしを去らせよ。夜が明けるから。』しかし、ヤコブは答えた。『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。』」(創世記32:26)
ヤコブさんは、主が去られるのを必死に止め、主に祝福があることを認めて、主を求めたのでした。そして、自分の名前を、主にはっきりと答えることができたのです。
主は、自分の名前を答えたヤコブさんに、「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」と、新しい名前を与えてくださいました。新しいヤコブさんのアイデンティティーです。「人を出し抜き、人を押しのける存在」ではなく、「イスラエル(神様が支配する、神様の王子)」となったのです。
自分の存在を主の前に捧げる時には、良い所だけではなく悪い所も捧げるのです。主は、僕らの全てを支配してくださるお方です。そのために、イエス様が十字架の上で血潮を流され、僕らの全ての罪を背負われました。僕らは、主のものとなりました。
「なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行いの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」(コロサイ1:19~22)
だから、今日も自分の存在の全てを主に捧げていきましょう。自分の名前を主に明け渡していきましょう。そして、主の御国とその義とを第一に求め主の御国を解き放っていきましょう。
■A:考えてみよう
自分の名前(存在)を主に明け渡していきましょう。
主の御国とその義とを求めていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひろみち 】
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