■S:今日の聖書の言葉
★創世記1章27~29節
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
■O:今日のコラム
2018年、あけましておめでとうございます!過去最高に主が来られるときが近いことを喜びます!
主は「生めよ。ふえよ。地を満たせ」と命じられました。生めよは(へ)パーラーで「成熟せよ」という意味です。KJV(King James Version)ではフルーツフルと書いてあります。主は私たちに成熟した者、いわゆる完全な者となることを命じておられます。
そして、人に地の全てのものを支配せよとも命じておられます。詩篇8篇でもこうあります。
「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」(詩篇8:6)
イエス様は、この「万物が足の下に置かれる」時まで、父なる神の右にとどまっておられます。イエス様に早く来ていただきたいのなら、私たちは地の全ての生き物を支配し、万物を足の下におかなければなりません。そしてそれは、必ずなされることを信じます。地をはう全ての生き物(サタンに属する霊)を支配するべく私たちは、戦う花嫁とますますなっていきましょう!
世にある肉に属するものを支配するためには、まず自分自身の中の肉を支配しなければならないでしょう。主がカインにお命じになられたように。
「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記4:7)
悔い改めて、御霊にあって肉を治める力が与えられている領域であるならば、自分がしようとしていることが、肉のためなのか?御霊のためなのか?ということを吟味することは重要です。すでに肉に従うことから解放されているのですから、私たちは正しい選択をすることができます。肉のために蒔くならば肉から滅びを刈り取ります。しかし、御霊のために蒔くならば永遠のいのちを刈り取るのです。
お正月には多くの休日が与えられていると思います。この自由を自分の肉を満たすために使うのか?主の御心のために使うのか?を吟味することは重要です。たくさんのごちそうが振舞われる機会があるでしょう。しかし、自分の食欲を満たすことを優先するのか?人々の喜びが満たされることを優先するのか?を吟味することは大切なことです。世の物に私たちがコントロールされてはいけません。お金にも、食べ物にも、遊びにも。世の物を支配して神の御心のために用いるのです。
御霊に満たされているなら、私たちは慎みの霊に満たされています。この方は私たちに慎みを尊ばせてくださいます。世の物を愛するのではなく(それは神に敵することです)、世の物を用いて主の御心を成し遂げることを愛するのです。父の御心を行い、それを成し遂げることは霊的な食物なのです。創世記1章29節はそのことを言っていないでしょうか?それが実を実らせるということであり、その実が食物となるのではないでしょうか?それが私たちの霊的な成熟ではないのでしょうか?
世の終わりに聖徒にやってくるチャレンジはシンプルです。自分の欲のために生きるか?主の御心のために生きるか?です。エデンの園で、アダムに与えられたチャレンジが最後にもやってくるのです。
しかし、信仰の創始者であり完成者であられるイエス様にあって、私たちは御心を選ぶことができるのです。
■A:考えてみよう
何かしようと決断するとき、それが肉のためなのか、主のためなのか?を吟味する。
■P:祈り
肉のためにではなく、御霊のために蒔く生活をさせてください。滅びではなく、永遠のいのちを刈り取らせてくださることを感謝します。どうぞ、悟らせ、気づかせてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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