■S:今日の聖書の言葉
マラキ3章10節
★十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。ー万軍の主は仰せられる。ー わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
■O:今日のコラム
お金に関するトピックは私たちの生活と直結することのため、個々の信仰や立場、事情、それぞれ集う教会の見解などが尊重されて然るべき事柄です。
そのことを踏まえた上での今日の記事となりますが、多くの先輩方が示してくださる信仰の姿勢と生き方に励まされ、私自身もそのように歩みたいと願い心がけていることは、十分の一献金を所属する教会にささげることについてです。
十分の一献金を捧げるすることのチャレンジにおいて、どれほど神が私を祝福してくださるか「ためしてみる」ことは勧めとしてよく聞いてきたことですし自分自身にも言い聞かせてきたことです。しかしその結果がどのようなものかというのは漠然とした「祝福」くらいにしか捉えていなかったことに気づかされました。
11節に書かれている素晴らしい約束に目が開かれたいと願います。
「わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。・・万軍の主は仰せられる。・・」(マラキ3:11)
即ち、あらゆる種類の収入の十分の一を捧げることを通して、主が私たちの魂の見張りをしてくださるという約束です。私たちから良いものを奪い、食い尽くそうとするいなごのような悪の力を主ご自身が退けて、心、働き、人間関係等すべての領域で豊かな実が結ばれるまで私たちを守ってくださる。まるで、屈強な警備員よりもはるかに頼もしい神様です。
だからと言ってなんでもかんでも捧げれば後は神様がやってくれる、というような無責任な心ではなく、十分の一を捧げたあとの90%を管理する責任は私たちにありますし、守るべき領域はしっかりと知恵をもって治めつつも、私たちの知恵や経験だけでは限界があることを認めて、私たちの預かり知らぬところで、主が眠ることなく働いてくださっていることに感謝しつつ捧げるのです。
逆に、「労苦した農夫こそ、まず第一に収穫の分け前に預かるべきです。」(2テモテ2:6)とあるように、主が種を植え、耕し、私たちが良い地とされ実が結ばれたゆえに、その初めの収穫を農夫に例えられる主に捧げるというのはある意味では自然なことと言えるでしょう。
様々な事情で十分の一を捧げることに葛藤を覚えることも時にはあるかもしれません。私自身もそのような心の迷いを通る時期がありました。しかしそれでも主に信頼して捧げるとき、このことを実践して来られた方々が一様に証しておられることと同じく、振り返ると足りないことは何一つなく、むしろ主は私の杯をいつも溢れさせてくださっていた!と感謝するばかりなのです。
来たる年に向けて、主との歩みを再確認していきましょう。あらゆる面で感謝にあふれ、神の平安に治められる年とされますように。
「『すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。』と万軍の主は仰せられる。」(マラキ3:12)
■A:考えてみよう
・この年、神様はどのようなことについて実を結ばせてくださったでしょうか。振り返り、感謝する時を持ちましょう。
・収入の十分の一を捧げることについて、みことばにより信仰を新たにされたいと願います。今まで実践してこられた方は、ますます感謝にあふれて、最も良いタイミングで捧げることができるように、そしてマタイの福音書23章23節を確認しつつ、「正義と誠実とあわれみ」を実行することができるように祈りましょう。
今後、十分の一献金のチャレンジに導かれる方は、収入の90%で生活を設計する知恵と喜びと信仰が与えられるように祈りましょう。
「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」(箴言3:9-10)
「またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。」(ヘブル7:2–4)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ぺい 】
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