■S:今日の聖書の言葉
民数記16章48節(同15章)
★ 彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、神罰はやんだ。
■O:今日のコラム
皆さんは、ドミノで遊んだことがありますか?僕は子どもの頃、ドミノのテレビ番組を見るのが大好きで、「ギネスに挑戦!」などと新聞欄に書いてあると、胸をドキドキさせながらその放送を見ていました。(今はまったくテレビを見ていないのでそういった番組があるかわかりませんが…)いずれにしても、みなさんも一度はドミノで遊んだことがあると思います。
どんどんとドミノを配置していくに従って、緊張感も高まってきます。あと少しで完成というときに、ペットの猫が横切ってすべてのドミノが倒れてしまったのは一度ではありません。(笑)しかし、僕はそこで学びました。すべてのドミノが倒れてしまわないように、ポイントポイントにストッパーを置き、それまでのドミノが倒れても、それ以降が倒れてしまわないようにすればいいのです。このことで、僕はより壮大なドミノにチャレンジすることが出来ました。
今日の聖書の箇所は、僕が聖書の中でも好きな箇所の一つです。レビ族のケハテ氏族の一人であるコラがモーセとアロンに反発し、イスラエルの民を先導して反乱を起こしてしまうのです。しかし、モーセは主の前にひれふし、とりなし祈ります。すると、神様は反発した人たちから離れなさいという指示を出しました。そして、モーセとアロンに従わなかった人たちは、地面が口を開き、彼らを生きたままの飲み込み、よみに落としてしまったのです。なんと恐ろしいことでしょうか!
それを見ていたイスラエルの民は、モーセとアロンに対して「あなた方は主の民を殺した!」と言ってつぶやきました。そのことで、神様の怒りは頂点に達し、神様の裁きが民にくだり、次々と民は死んでいきました。それを見ていたモーセとアロンは、いてもたってもいられなくなり、再び主の前にひれふしました。するとおじいちゃんになっていたであろうアロンが突然祭壇から火を取り、火皿に入れて、その上に香を盛って、会衆の中に走り行きました。アロンは必死に走りました。走って走って、生きたものと死んだものの間に立った時、神の神罰は止みました。
ここから私たちは、多くのことを学ぶことが出来ます。
・コラから学べること
コラはレビ族でした。つまり、幕屋で仕える献身者です。コラの関係者はこの事件で滅ぼされましたが、一部の子孫が主の憐れみによって残されました。そしてコラの子たちは後のダビデの時代に賛美リーダーとして用いられました。コラには賛美の素質があったのではないかと思います。
賛美に関わる者がリーダーに対して高ぶり、生きたまま地に落とされた。この事でピンとくることはないでしょうか。そうです。サタンです。
私たちが神様に、牧師先生に、そしてリーダーに従えない時は、私たちは気をつけなければなりません。聖書にはこう書かれています。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)
従うためには、私たちはへりくだらなければなりません。牧師先生もリーダーも人間ですので、間違いをすることはあるでしょう。しかし、聖書によると彼らは神による権威を与えられたものだというのです。つまり、彼らに従えないということは、神様に従えないということです。自分の意見を持つことはとてもいいことです。また、祈り、吟味し、それをリーダーに伝える事はとても大切なことだと思います。しかし、牧師・リーダーの権限を超えた事をあなたが行ってしまうのは、コラと同じことをしているといえるのではないかと思います。コラから学びましょう。あなたが理不尽に思っても、牧師先生、リーダー、そして何より神様はあなたの考えよりも更に高い次元で物事を見ているはずです。従順になり、へりくだることを学びましょう。
・アロンから学べること
アロンは、本当に愛と勇気のある人だと思います。考えてみてください。目の前で人々が原因不明でどんどん死んでいってる中に自ら走りこんで行ったのです。あなたはこのことが出来ますか?僕は出来ないかもしれません。しかし、ここにとりなしの真髄を見ることができると思います。
生きている者と死んでいる者の間にアロンが立った時、神様の神罰はそこで止まりました。先に上げたドミノのストッパーのような役目です。私たちは霊的な領域でこの事をしていかなければなりません。それでは、具体的にどうすればいいのでしょうか。順番に見て行きましょう。
1.火皿を取る
火皿とは、「ともし火皿」とも書かれています。「あなたがともしび皿を上げるときは、七つのともしび皿が燭台の前を照らすようにしなさい。」(民数記8章2節)ともし火皿とは、メノラーの先に付いているものです。その中には純粋なオリーブ油と火を灯すための芯がありました。ここに光が灯された時、何重もの布で覆われて真っ暗の幕屋の中がともし火皿の光だけによって照らされます。これは、キリストを象徴しています。キリストは世を照らす真の光です。まず私たちは何より、イエス様により頼まなければなりません。
2.祭壇から火を取る
火は聖霊様の象徴です。イエス様も十字架にかかられ、死からよみがえられ、天に帰られた後聖霊様を送ってくださいました。それは使徒たちの上に炎のように別れた舌がとどまったと書かれています。私たちも聖霊様を受け取る必要があります。
3.その上に香を盛る
イエス様、聖霊様を受けた後、その上に香を盛る必要があります。香とは祈りです。「彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。」(黙示録5:8)父なる神から送られたイエス様、聖霊様を受けて祈るのです。どんな小さな祈りも神様は聞き届けてくださいます。だから、私たちはとりなす相手の為に祈り続けましょう。
4.そして急いで会衆の所へ持って行き、彼らの贖いをする
ここで初めて会衆の中に走り行くことが出来ます。その結果、すでに神罰が始まっていたにも関わらず、その神罰はやみました。考えてみてください。これはすごいことです。神様の計画は変わることがないと私たちは学んでいますが、私たちの正しい祈りは神様の計画を変えることがあるのです。
アロンの行動によって神罰はやみました。これはこの時だけに起こることこでしょうか。僕はそうは思いません。今の時代にこそこの事が更に力を持ってあらわされるのではないかと思います。まわりを見回してください。滅び行く魂が溢れています。私たちはこのままでいいのでしょうか。ほろびゆく魂を何もしないで見続けることが出来ますか?僕は今日、この箇所を改めて読んだ時、激しく悔い改めました。そして、滅び行く魂への情熱が湧き上がりました。
ジョセファット・ガジマ先生もタンザニアの人は地獄ではほとんど見ることが出来ず、むしろすべての人が天国に行くという強い信仰を持っています。私たちも、この信仰をもとうではありませんか。日本は救霊に対して難しい国ですか?あるいはそうかもしれません。しかし、神様はどんなことでもできる方です。目の前に事実はあるかもしれませんが、神様はその上をいく真実なお方です。この真実をつかみとろうではありませんか。私たちはこの方に直接交渉する事を許されています。であれば、この国のために祈りはじめようではありませんか。私たちの祈りが日本を変えることを強く信じます。
■A:考えてみよう
あなたがとりなすべき人はなんでしょうか。また、とりなすべき分野は何でしょうか。
今、日本各地で祈りの家が立て上げられています。ここで、絶え間無い祈りの香と賛美のいけにえが捧げられています。ここで火を受け取りましょう。そして、滅び行く魂の中に走りゆきましょう。
あるいは、ビジネスをしていて、物理的に時間が取れないという人がいるかもしれません。本来なら、それでも祈りの時間を確保することがいいのかもしれませんが、私たちは一つの家族です。ですから、祈り手はそういった人のために祈りでバックアップします。ダビデの幕屋が絶え間無い祈りを捧げる時、ここが心臓部として朝も夜も動き続け、主の御体の隅々にまで主の油を送り続けます。祈りと宣教がセットで推し進められていく時、初代教会に見ることができるように力強いリバイバルが起こっていくでしょう。いや、初代教会が可愛く見えるほどの御業が解き放たれていくと信じています。
祈り手は、ビジネスマンの為に祈りましょう。ビジネスマンは、祈り手をサポートしましょう。ダビデは前線で戦ったものも待っていたものも同じ分け前であるといいました。どっちが優っているという問題では無いのです。今こそ私たちはお互いに協力し、この国を主のために勝ち取っていきましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
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