■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記6章2〜3節
★神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現われたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった。」
■O:今日のコラム
主に名前を伺ったモーセに対して、主は「わたしはある」とご自身の名を示されました。この言葉から派生して主の呼び名となったのが「יהוה(ヤハウェ)」です。
ヤハウェとは主の固有名詞であり、新改訳聖書において太字の「主」と記されている箇所が「ヤハウェ」にあたります。詳しくは聖書の「あとがき」をお読み下さい。
「名は体を表す」と言う言葉もある様に、主の御名は主ご自身がどの様なお方であるかを啓示するとても重要なものです。
ヤハウェなる主は「あるお方」つまり全ての中におられ、この方は癒し主、救い主、供給者、慰め主、私達の人生の全てを溢れる程に満たす事の出来るお方です。
またこのヤハウェ(יהוה)と言う文字を構成するヘブル語の一つ一つの意味を合わせると「手を見なさい。釘を見なさい。」と言う意味となり、ヤハウェの名の中に父なる神の心をこの地に現す、主イエス・キリストが啓示されている事がわかります。福音書の中で主イエスが「それはわたしです。」(ヨハネの福音書18:6)と言われた時、まさに初めからヤハウェなる神と共におられ、父と御子は一つである、主イエスの神としての永遠性が宣言されたのです。
また主イエスは十字架の死と復活を通して御父からすべての名にまさる名をお受けになりました。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」(ピリピ人への手紙2:6〜9)
「イエス・キリスト」その御名こそがヤハウェなる主が私達に与えて下さった答えであり、この御名に救いと贖い、癒しと回復、ハデスの門を打ち砕き、天の扉を開く全ての権威があります。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)
この偉大な御名を宣言する事が出来る絶大な特権が私達に与えられている事を感謝して、主の御名を高らかに褒め称えます。
■A:考えてみよう
日々、偉大な主の御名を褒め称え、御言葉を通して主の御名の性質を発見し、その御名を宣言して主に感謝を捧げましょう。
下記のサイトから主の御名を宣言して祈るシートをダウンロードする事が出来ます。毎日の祈りと礼拝にお役立て下さい。
https://shinjuku-shalom.com/wp-content/uploads/2016/03/NameOfGod.pdf
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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