■S:今日の聖書の言葉
詩篇10篇14節

★あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるために、じっと見つめておられました。不幸な人は、あなたに身をゆだねます。あなたはみなしごを助ける方でした。

■O:今日のコラム
今朝の御言葉、詩篇9篇と10篇は、言わば、正反対の書き出しで始まります。9篇は、喜びに満ちて、溢れんばかりの感謝と賛美を主に献げることから始まります。

「私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。私は、あなたを喜び、誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。」(詩篇9:1~2)

一方、10篇は主への切々とした訴えから始まります。

「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」(詩篇10:1)

一見、真逆のように見えて、実は、ひとつの信仰が根底に流れています。9篇の冒頭でダビデが感謝した内容は「義なる主が悪しき者どもを滅ぼし、審きを行われたこと」を喜んだのでした。また、10篇1節以降の訴えは「主が正しい審きをなさらずに、悪しき者どもがいつまでも神を侮っているさま」に対して、叫んでいるのです。すなわち、9~10篇は「万物は義なる審判者、主によって統べ治められている」という信仰に堅く立っています。今朝、まずこの信仰に、私たちも「アーメン」と心を合わせましょう。

さて、その上で、今朝の箇所から、いくつかのメッセージを受け取りたいと思います。

(1)主はどのようにして悪しき者を審かれるのか?

主は悪しき者を「自分が作った悪だくみ」に捕えさせ、審かれます。(詩篇9:15~16、10:2)

主は全能の神なので、「暴君」のように、神を侮る者の頭上に(気の向くままに)鉄槌を下すのでしょうか?ドラえもんに出てくるジャイアンが、気分次第で、のび太を殴るように、、、。いいえ、主はそんなことはなさいません。主には「主のなさり方」があるのです。

「あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、清い者には、清い者となり、ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。」(詩篇18:25~26 口語訳)

主は「ひがんだ者には、ひがんだ者となられる」のです!

以下は有名なタラントの譬話の平行記事、ルカ福音書のミナの譬話の一節です。

「主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。」(ルカ19:22a)

ここで1ミナを預かったしもべは、主人のことを「計算の細かい、きびしい方」「預けなかったものまで取り立て、蒔かなかったものまで刈り取る方」と評していますが、主人は「その言葉」であなたをさばこうと言われるのです。

さぁ、ここで立ち止まって、自ら省みたいと思います。私は主をどのような方と見ているでしょうか?自分の過去を振り返って、神に対する苦味、訴え、失望、、、があるなら、それが罠となって私を捕えることになります。主の御前で悔い改めねばなりません。

ただし、ここで注意すべき点があります。主は「私が思い描いた通りに私に報いる」からとて、ただやみくもに「主は良いお方、主は良いお方、、、」と自分に言い聞かせれば済む、という話ではありません。あるいは過去に、祈ったのに聞かれなかった経験があるなどして、主に対する怒りが心の奥底にあるにもかかわらず、その感情に蓋をして、ただ主をほめたたえれば良い、というのでもありません。それでは、まるでジャイアンのご機嫌をとるスネ夫です。それは神を怖がっているだけで、宗教的です。そこには主との人格的な交わりはありません。

たとえば、過去に、主に祈ったのに自分の願った道が閉ざされて、失望した経験があったとします(私にもあります)。その辛さを正直に主に申し上げて、その意味、主の意図を祈り求めるべきであります。その時にはわからなくても、やがて主の深い御心が悟らされ、心の底から感謝できる日が来ます。これが真の悔い改めであり、心の癒しです。

(2)主の目は誰に注がれるのか?

主は、貧しい者、みなしごの叫びを決して見過ごしになさいません。(詩篇9:12、9:18、10:12、10:14、10:17~18)

イエス様は「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」と言われました。(マタイ5:3)

また主は「みなしごの父」です。(詩篇68:5)

貧しい者、みなしご、とは「主のほかに誰も頼る方がいない者」です。その者たちの上に、主の目は注がれます。主は彼らを見過ごすことができないのです。私たちも、ただひたすら主を求め、このお方以外に頼るものがない者として、御前に出てゆきましょう。

(3)サタンの狙い

今、全世界をコロナウイルスの禍が襲っています。主が何故このような事態をお許しになったのか、、、わかりません、、、。主の御心は私たちには到底計り知れないものです。ですが、サタンの狙いは明らかです。サタンは「できれば選民をも惑わそう」(マタイ24:24)とし、私たちクリスチャンに「神を恨ませよう」とします。

「また彼女(ハンナ)を憎んでいる他の妻(ペニンナ)は、ひどく彼女を悩まして、主がその胎を閉ざされたことを恨ませようとした。」(1サムエル1:6 口語訳)

主はハンナの胎を閉ざされました。何故かはわかりません、、、。ただサタンはペニンナを使って、ハンナに「主を恨ませよう」としました。ハンナは激しく泣き、主に祈りました。その結果、偉大な預言者サムエルが誕生したのです。

私たち個人の人生においても、全世界的なレベルでも、「どうしてこのようなことが、、、」と嘆き、苦しむときがあります。けれども、それでも信仰に堅く立ち続ける私たちの姿を、主は見ておられます。主は天から「高見の見物」をしておられるのではありません。深いあわれみをもって私たちに目を注ぎ、私たちのために日々とりなしておられるのです。

困難に遭い、うめくとき、十字架の上で苦しまれた主イエス様を見上げようではありませんか。そして、ハンナのごとく、ひたすら祈り続けましょう。サタンの狙いを退け、主の願いが実現するときまで。

■A:考えてみよう
私のうちに傷のついた道があるか、ないか、を主に探って頂きましょう。
そして、とこしえの道に導いて頂きましょう。(詩篇139:23~24)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしかず 】

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